裏切るなよ黒崎。
裏切ってくれるなよ。


俺の最大の信頼を。



は口に出さず想いながら遥か空を眺める。
雨が降り出した。


空気は急激に湿度を孕み、焼けたコンクリートを冷ます。独特の匂い。
噎せ返るような。


「裏切るな。」


(死ぬな)


雨は激しさを増すばかり。













22:  守られる約束











体中から血液を流しながら、それでも一護は倒れない。
虚を見据え武器を手放さず、それはまさに文字通り誇りを懸けた戦いだった。

降り注ぐ水分に視界は悪くなるばかりだが、ルキアの目には一護は浮き立って輝く。

思い出す。引き摺り出される過去の記憶。


手を出してはならない。

ルキアは自分の体を力一杯抱きしめてそう繰り返す。衝動的に駆け出しそうになる足を食い止める。

一護はルキアに言った。頼む、と。


頼む、手を出さないでくれ。
これは俺の戦いだ。


それを拒む事を、ルキアにはできない。今も、過去も。
ただ目を逸らさずにいたいとルキアは思った。

今度こそ逃げ出したくはない。


ルキアにとってそれこそが“時間”が存在する意味だった。





「テメエ・・・・!!」



一護が怒号を上げる。
目の前の虚は姿を一瞬で変えた。

六年前その手にかけた、一護の母親の姿に。


ダン!!と一護は踏み込み、その衝撃で血が滴る。ルキアは勝負の終わりを感じた。
決着は着いたのだ。そう直感する。そして一護に駆け寄った。

「止せ一護!!無茶だ!!」

雨の音に負けないようにルキアは叫ぶ。それに重なるように虚が大きく笑った。


「ひひっ、そうだ止めておけ!視覚の発達した獣は全て視覚に支配される!!
 そう、お前は中身がわしだと判っていても母親の姿をしたわしを斬る事はできんのだ!!」


冗談じゃねえよ。一護は思う。
視覚とか、そんな単純なものに支配されるような浅い絆じゃない。全然違う、おふくろとは何一つ。
その髪の一本すら同じだなんて言うんじゃねえよ!!

更に踏み込んで刀を構える一護の身体をルキアが押さえた。
しかしそれにも一護は気付かない。

視線は虚を捉えて離さない。
虚は大きく笑って空高くに跳躍し、身を翻す。


「たとえ斬れたとしてもその身体ではわしを追うことなどできん!!」


そのまま木々の中へと姿を消した。

「待てよ・・・・・ッ!!」

追おうとする一護にルキアは再び止めに入る。行かせるわけにはいかない、と。
死なせるわけには。

「もう良い、もう止せ!!お前も・・・奴ももう戦えぬ!戦いは・・・終わったのだ!」

「まだだ!!」


すかさず返された一護の声にルキアは目を見開いた。顔を上げて一護を見る。
一護の目はまだ虚を追っていた。

「あいつはまだ死んでねえ!!俺はまだ戦える・・・・!!まだ・・・・!!」


血を吐きながら一護は叫び、そして。

意識は闇に呑まれた。






五感を失い、四肢が浮遊する感覚の中で一護は。

(呼べよ)

再びあの声を思い出す。


頼りたくない。依存したくない。けれど、だけど。



会いたい。泣きたくなるような、こんな時には。









お前に。














空気を伝ってに響くのは、気配、声、匂い。
一護が戦っているのが分かる。は目蓋を閉じた。



きっとその傍には朽木がいるな、と口元で笑んではその姿を思い出す。
あの時のように震えているのだろう。堪えているのだろう。

結局朽木も悲しんでいるのだ。そう想うの表情は柔らかさと感情を取り戻した。



そして、刹那大きく双眼が開く。


「・・・呼ばれたッ!」


そのまま窓から飛び降りて裸足のまま駆け出した。降りしきる雨も距離もものともせず疾走する。
の耳に届いたのだ。消えかけるような声で呟かれた一護の言葉が、確かに。

確かに聴こえた。


、と。


「遅いっつうの、カッコつけやがって!!」


大切な声に呼ばれればどこにいようと駆けつける。果てまででも奔走する。
それがの信条であり、の思い描くヒーローの姿。自由の使い方だった。









が着いた時には、ルキアが一護の治療を大方終了した頃だった。
気配を消したまま、一護の傍らで俯くルキアの背後に立ち様子を伺った。


一護の頬や腕にはまだ傷が残っているがルキアの霊力は底を尽きている。

大分重症だったんだな、とは頭を掻いて気配を消すのを止めた。
瞬間、ルキアが振り返る。



「・・・・ッ、!?」

「うス」


驚愕するルキアに片腕を上げて軽く挨拶をしては笑った。



パシャリと音を立てて近付くに場所を譲るように、ルキアは立ち上がる。
やるべき事は終わっていたし、その方が一護は喜ぶだろうと。
安息を感じるだろう。好きな人が傍に居れば。

しかしこう都合が良くては不自然極まりない。



「何故・・・・ここに」


ルキアが問うと、は小首を傾げた。愛嬌のある仕草にルキアの緊張も解れる。
狙っての事だとしたら真性タラシ。



「呼ばれたからさ」

「呼ばれた?」

「ああ」

一護に。


がそう告げるとルキアは酷く納得したように頷いた。
そのルキアを突然前触れ無く。

「・・・・!?」

片手で、が抱き締める。
細く小さなルキアの身体はそれだけでスッポリと包まれるようだった。

「な、なにを・・・!」

「一護の好きにさせてくれて、ありがとな。友として礼を言う」


「・・・・ッ」


「お疲れ様。・・・辛かったろ?」


どうしてこの男は、とルキアは真っ赤になって考える。
なぜこうも簡単にこんな事をしてしまえるのか。これぞ女タラシ。

けれど、こいつの前ではどんな暗闇も平伏するに違いない。己の劣情を嘆くに違いない。
だから腕を振り払う事はできない。

ルキアはそう思って可笑しそうに笑った。


「泣いて良いよ、お姫様」

「泣かぬわ、莫迦者・・・」


ルキアは憮然としながら、そっとの胸に額を預けた。





少し離れた木の影で、
一護の身体に入ったコンが嫉妬に駆られつつもルキア相手にどうする事もできず。

ただ複雑に顔を歪めて立ち竦んでいた。