悲しい。
憎い。
求めてもそこは虚空で、
愛してもそれは虚構で。
手を伸ばしてもすり抜け
声を嗄らしても届かない。
俺は何故ここにいる?
何故此処に留まり此処に在る?
何故
なぜ
ナゼ。
悲しい声が聞こえる。
耳を劈く、悲鳴に似た声がその男に届いた。
「知るかよ」
抑揚無く声を響かせ、男は声の主のを見詰めた。
右腕を差し出す。
「知るかよ俺が。でもお前は居るだろ、此処に。
俺が見て聞いてる。姿も声も俺が、傍で。」
それは神の声と悪魔の声の二つの色をしていた。
少なくともソレはそう感じ、打ち震える。
恐怖か、歓喜か。
「理由なんてもう良いだろう。過去は過去だ。
お前はどうしたい」
今。
今、俺、は。
「・・・・生きたい」
優しい、愛しい、あのひとが願った、
その通りに。
26: 四肢
数分のトリップ。
はハッとして顔を上げた。
そして舌打ちをする。
『さあ、。どう戦う?』
東雲の声に周囲を見渡し感覚を研ぎ澄ませば、まるで計画されていたように
方々散らばっての知り合いが襲われている。
ああちくしょう、なんだってんだ。
は再び舌打ちをしようとして、やめた。
文句を言い嘆く前に、やる事がある。
「どうもこうもないさ。護りたいモノは全部護る。」
東雲を強く握る。
掌が痺れ、感覚が薄くなっているのに気づいた。
早いな、とは小さく零し空を見上げる。
亀裂は広がり穴が開いて、そこから無数の虚が漏れ出しているのが見えた。
『お前は変わらんな・・・・いや、変わったというべきか』
「どっちでも。俺は俺だ」
『確かに。では、主よ。・・・我が力存分に振るいませい』
「ほいよ」
刀身を肩に担いで顔を上げたの横顔に、迷いは無い。
それは出会った悉くの人間を魅了し続けてきた表情だった。
「12匹目ぇ!!」
ザバシュと虚を切り捨てて足は止めずに駆け抜ける。
止まってる時間は無い。手の痺れは徐々に広がり、今度は視界が怪しくなってきた。
「・・・クソ、進行が早いぞ東雲」
『仕方ないだろう。これでも加減している』
「お前も相変わらずだねえ」
『だからお前にしか従属しない』
「あーあーそうですか」
走る感覚がどんどん無くなってゆく。
まるで宙に浮いているように地面を踏みしめる響きが薄れている。
は舌打ちをして、立ち塞がった虚を薙ぎ倒した。
「まあいいさ、俺の王子っぷりを見せちゃおうじゃないの」
喋りながらも走る事は止めず、すれ違いざまに次々と虚を薙いでゆく。
餌に引き寄せられる虚は絶え間なくに襲い掛かった。
『もつのか、』
「もたせるさ」
薄く笑って更に刀を振るう。・・・・29匹。
四肢は徐々に自由を奪われ鎖で繋がれたように上手く動かない。
が、はそれを微塵も表に出さず走り続ける。
視界は完全に闇に覆われた。
「あー、目、潰れた。」
『耳はどうだ』
「・・・まだ、なんとかな。」
ヒタリと。
は足を止め、使い物にならなくなった目を閉じた。
霊圧を嗅ぎ取る感覚はキッチリ残っている。
それさえあれば虚と戦える、とはゆっくり微笑んだ。
感覚は無くなっても腕は動く。足は走る。
戦うには十分だ。
脳内に周辺の地図を思い浮かべ、虚の位置に旗を立ててゆく。
半径二キロに十数匹。
知った霊圧が、幾つかある。
中でもここからまず一番近いのは。
「・・・・空き地、か」
瞬間地を蹴り、再び走り出す。
感覚が無くなっても疲労は感じるなんて不公平だよな、と苦笑いを零した。
音が世界から消えてゆく。
それを感じながらそれでも立ち止まろうとは思わない。
例えば世界が闇に満ちても、無音と化しても。
自分は大切なものの為に走るだろう、と、は思う。
それと同時に心から微笑んだ。
なんと誇らしい自分。自由とはかくも素晴らしい。
あらゆるものが在る中で、自分は今の自分を選ぶのだ。
は大きく地を蹴り、空き地に降り立った。
一護の妹、夏梨を抱きかかえるチャドと虚の間に。
もう目は見えない。
耳もよく聞こえない。
神経は麻痺して自分がちゃんと地面に立ち、刀を握っているかも分からない。
既に微かに息は切れ、肩が揺れ始めている。
けれど。
そこに、ここに、すぐ傍に。
護りたい奴と、敵が居る。
「な、何なんだよアレ・・・・!」
チャドの腕を解こうとしながら、夏梨は声を震わせた。
目の前に見える人物と、化け物に目を見開く。
アレは、あの人は。
上半身肌蹴て、変な着物着て刀ぶら下げているけれど見間違うはずも無い。
一兄の、大事な奴。
ふざけてて、不真面目で、不透明な奴。
「なんで、あいつ・・・・あいつが・・・!」
自分を。
自分達を、護るように立っているんだ?
チャドは愕然とする夏梨を見下ろした。
「おまえ・・・アレが見えるのか・・・?」
チャドの言葉に夏梨は顔を上げた。
「見えるのか・・・?何言ってんの、あんなにハッキリ見えてるのに・・・!!」
「・・・おまえ・・・」
呟いたチャドの背中に、虚の腕が襲い掛かる。
後ろ、と夏梨が叫ぼうと口を開いたその刹那、虚は夏梨の視界から消えた。
そして離れた場所で砂埃が起き、木が折れる。
虚の代わりに夏梨の視界を埋めたのは。
昂然と。
そして凛乎たる立ち姿。
、だった。
「気配消してないし俺が見えるだろ夏梨チャン。聞いて。」
「アンタ、どう、どうして・・・!」
「俺今さー、耳とか目とか使えないんだよね。
言葉のキャッチボールとかできねえの。だからゴメン、勝手に話すから聞いてて」
に蹴り飛ばされた虚が体勢を立て直す。
それと同時には斬魄刀を構える。
「チャド連れて逃げて。この不細工サンはオニーサンがやっつけちゃうから☆」
夏梨は慌ててチャドの腕を払い、に駆け寄ろうとした。
しかしすぐに伸びたチャドの腕に捕まり引き戻される。なんなんだこのオッサン、と夏梨はチャドを睨んだ。
そしてに向かって叫ぶ。
「なんなんだよ、それ!目も耳も使えないって・・・・!!無理だよ、逃げろよ!!」
「お、おい?」
夏梨の叫び声にチャドが少しだけ怯み、夏梨の視線を辿ってその先を見る。
景色が不自然に歪み、そこに何かが居るのだけは判る。
「・・・・誰かが、居るのか」
「一兄の友達、自称王子!」
「・・・・・・・、か」
「アンタと二人で逃げろって、あたしに言いやがった・・・・!!
目も耳も使い物にならないって、そんなんで・・・・!」
怒ったように、泣き出しそうになりながら夏梨は吐き捨ててチャドの背中によじ登った。
チャドは吃驚して背後を振り返る。
「あたしがオッサンの目になる!どうせ見えてないんだろ!?」
「だ、駄目だ!!」
「やらせてよ!!」
叫んだ夏梨の目には、の背中と重なるように一護の背中も見えていた。
「やらせてよ・・・・!気になってんだよね、ずっとさ!知りたいんだ!!
あれが一兄とどういう関係があるのか!
・・・っ、それに・・・!
護られているだけで、逃げ出すだけで何もしないなんて御免だ!
オッサンもそうだろ、一兄の友達なら、そうだろ!?」
「・・・・ム、・・・・」
チャドは言葉に詰まり、この兄弟は似ているなと暢気な事を考えた。
(あー?ちょっと、何で逃げないんだあの二人)
チャドと夏梨の気配が遠ざからない。
それどころか虚に向かっていっている。
は舌打ちをした。
どいつもこいつも好き勝手やってくれるよ、と内心毒づく。
が、自分もそうだと自覚している以上表立って文句も言えない。
虚に殴り飛ばされたチャドを、に代わり眺めて東雲は呆れたように吐き捨てた。
『捨て置いて良いだろう?忠告はした』
「阿呆。良くない。護るっつったら俺は護る。」
ザ、と。
チャドの前に立つ。
虚は目の前。
夏梨は必死にの名を呼ぶがそれも届かない。
断絶された世界には独り、立っていた。
『だがこの調子で無理をすれば死ぬぞ、・・・・限度が近い』
刀を構えたが、刀身が空気を切るその感覚も無くなっていた。
もう何を斬ってもそれすらも感知できないだろう、とは思う。
どんどん息苦しくなってきて、は額に薄く汗をかいていた。
震える指先を誤魔化すように悠然と笑う。
百獣の王を匂わせる表情だった。
「かもな。でもまあ、笑って死ねるんなら万々歳、ってね」
笑っては言い放ち虚に向かって走り出す。
「!!」
同時に夏梨の声が響いて、そして。
チャドに異変が起こった。
俺の拳は、誰かを護るために。
俺の身体は、誰かを助けるために。
そして今この瞬間に俺の拳がまだ動くなら。
それは君のために振り下ろす。
虚を倒したチャドは、そのまま地面に倒れた。
体中の力を、奪われたようだとチャドは思う。
・・・・わからない。
突然現れた右腕のヨロイ。そこから放たれた途轍もない何か。
突然ハッキリ見えた化け物。
微笑むの姿。
なぜヨロイが現れたのか
なぜ化け物が現れたのか
なぜ倒す事ができたのか
そしてなぜ俺は今力尽きて倒れているのか
倒れる瞬間に見えたのはの横顔
そして走り去る後姿
走る姿が、似合っている
誰よりも誰よりも
俺はに護られるだけで終わらない何かを、手に入れたのだろうか
わからない
何もかも
ただ
懐かしい声が甦る。
記憶の中の声が、音を持つ。
耳を通り目の前に降る。
アブウェロ、あなたの声が。
燦然と生き返る。