「可愛い姫君達の涙を拭うため、遅ればせながら王子参上!!」


自称王子はいつもより少し掠れた声を響かせて、織姫の前に降り立った。
瞬間にまるで嵐のような壮絶な霊圧が周囲を揺るがす。

虚は小さな悲鳴を上げて、けれど身動きもとれずその光景に見入った。
たった一人の死神から流れる甘美で、膨大な力に。


は虚に操られた竜貴を腕の中に包み、そっと首筋に触れる。
それだけの動作で竜貴は気を失い力なくの腕にもたれた。

優しく地面に竜貴を寝かせて、は見えもしない虚を睨み上げる。
見えなくても分かる事はあるんだよ、と心の中で呟いた。

「女泣かせて喜んでんじゃねえよ、クズが。」



「・・・・、くん?」


織姫の呟きはには届かない。
しかしさすがは王子を名乗るだけあって、はゆっくりと振り返った。

額に浮かぶ汗と揺れる肩、そして真っ白な顔色が疲労を物語る。
しかし笑顔一つでそれらを誤魔化した。
優しい、嘘。
そういう偽証をは最も得意とする。



目の淵に涙を溜めたままの織姫を困ったように見下ろして
は目元で優しく微笑んだ。




「ごめんな、遅れた」


ごめんな。

痛い思いをさせて。
悲しい思いをさせて。

涙を、流させて。


ごめんな。


は虚に向き直り
絶大な力を誇示するように片腕を振り上げて思う。


だが、ここまで。ここまでだと。


「おいたが過ぎたぜ、完璧に消してやる」





ほんの一振り。たった一振りで。


虚は両断され、赫い蝶に喰い尽された。












27:      奔走









「たつきちゃん、たつきちゃん!!」


織姫は力なく横たわる竜貴に駆け寄り名を呼び続けている。

もはや隠せないほどに荒くなった呼吸を繰り返しながら、は織姫に歩み寄った。


くん・・・!たつきちゃんが・・・!」


竜貴の様子に取り乱す織姫の傍には膝をつき、俯いた顔に両手を添えて
少しだけ力任せに自分に向かせた。

見えてない目はそれでも光を湛え
抗う事を許さない。



「井上、聞いて」

の声は先ほどよりも酷く掠れ、小さい。
辛そうに眉をほんの少し一瞬だけ顰め、は言葉を続けた。


「・・・・、光が見える?井上」


そっと井上の髪留めに唇を寄せては囁いた。
その瞬間、髪留めはパキンと硝子の音を立てて光を放つ。

風を起こし、井上と・・・そして竜貴を包んだ。
白い鳥のようなものが真上を飛んでいる。


「・・・・なに、これ・・・・」


見上げて織姫は呟いた。
はフ、と息を吐いて笑う。


「お前に尽くす想いと、魂の願い。・・・ハニー、君の力ってわけ」

「私の・・・?」

軽く咳き込んでは立ち上がり、空に向かって手を振った。

「説明は、ゲホ・・・任せた」
飛び回る白い鳥のなかの一羽が、それに応えるように織姫の肩に舞い降りる。


「・・・来たかー。じゃ俺行くな、井上」

「え?」


今は見つかりたくない人物の気配が近づいているのを察知して再び走りだした。
そのの背中に向かって井上は声を上げた。


「あ、ありがとう!君!!」



 
そしてやはりは王子らしく振り返り
極上の笑顔でもって応えた。
















「・・・・、・・・・!」


校門を出て、暫く走り続け。
は塀に背を預けて足を止めた。

喉からヒューヒューと漏れる呼吸音が脳を劈く。
痛む心臓を押さえては東雲の名を呼んだ。

「・・・・っ」

呼んだつもりだった。
だが実際は、声にならず荒い呼吸を繰り返すだけ。


『とうとう声も失ったか、


次はその意識だぞ。
意識を奪われたら最後、戻ることなく死に向かう。


そう続ける東雲には笑った。
この馬鹿者が、と東雲は歯噛みして声を荒げる。


『もう十分だろう。十分戦っただろう。刀を納めろ』


いいやまだだろ、とが首を振ると東雲は激昂した。
自分の力はのものだが、だからといっての命を奪うものではないはずだ、と。

しかしは再び足を動かし始めた。
顔中に張り付く汗をものともせず、襲い来る虚を次々と薙ぎ払いながら走り続ける。

!』



まだだろう。まだ戦える。


は頭の中でただ繰り返していた。












竜貴を救うために力を使いすぎ、気を失っていた織姫が目を覚ました時。
そこは見知らぬ部屋だった。
そして何故か、傍にはチャド。
心配そうに具合を伺うチャドに織姫は平気だよと答えて、それからハッと思い出した。


「そ、そういえばここ何処!?学校じゃないよね!?
・・・・くんは!?」


チャドは織姫の口から出た名前に驚いて、勢い良く織姫の肩を掴んだ。

は、井上の所にも来たのか・・・・!?」

次に驚いたのは織姫だった。
そしてすぐにが一人で奔走している事を悟った。
それはなんともらしく、けれど急激に織姫は不安になった。

自分や、竜貴にばかり気を回して今の今まで気にしていなかった光景が
まざまざと脳を駆け巡る。
に両頬を包まれたあの瞬間、


の掌は信じられないほど震えていた。

恐怖ではなく純粋な肉体疲労のように。
体が訴える危険信号。限界のサイン。そんな風だった。


「・・・・っ!」



織姫は鳥肌を立てて立ち上がった。
一瞬の眩暈が襲うが、気にしてはいられない。



「井上!?」



よろけた織姫を支えるチャドの腕に手を添えて織姫はチャドを見上げた。
泣きそうで、けれど決意を秘めた目。
その目はチャドが見た夏梨の目に似ている。


君、絶対に無理してる・・・だって、おかしかった!異常だった、あんな・・・!」


「おや、ではアタシと同意見なんスね」







織姫の言葉を遮り現れたのは。





「アタシはとっくにブチ切れてますけど」



チャドと織姫をここまで運び真実を明かそうとしている、悪徳商人。

浦原喜助、だった。