空の罅は一箇所に集い、虚達がそこを目指しはじめる。
遠ざかる気配には舌打ちをした。

餌が効かなくなった。
それはの更なる苦戦を暗示していた。

向かってくる相手を叩き斬ればよかった状況が、一転して
自分から攻撃を仕掛けなくてはならなくなる。
それは、今、目も耳も使えないには至難の業だった。
気配はまだ感じ取れるものの、数が多く集中してるために下手に手出しはできない。



『引け、!』

東雲が再度怒号を放っても、は片眉すら動かさずただひたすら走る。
苦しさも、痛みも、消えていた。

俺ハ今、生キテンノカ?

そんな簡単な事すらも判断できないほどにあらゆる感覚を失ってゆく。
生と死の境界線すらも見失う。

真っ暗な暗闇で、無音の空間で。
はただ走っていた。



声が出ない代わりに心で想う。
引けないし、引かないと。
大事なものは何一つ譲らない。
それが。




(それが、俺だ)











28:      背中合わせの










「まったく、自己犠牲もほどほどに、と何度も言ったんですがねアタシは」

広げた扇子で口元を隠し、浦原は告げた。
軽い口調ではあったが隠した表情は、眼は、怒りに包まれている。

ああ、本当に愚かな人だ。
現実は甘くないと、良く知ってるでしょう。
欺瞞も嘘も虚勢も、役には立たない瞬間だってあるのに。

浦原は考えて微笑んだ。侮蔑するように。
記憶を元に構築されたが、答えたからだ。

鮮やかに軽やかに迷い無く。


(上等だろ、初めから俺は己の命だけを賭けてる。)


だから行かせるわけにはいかないんスけどね、と浦原は思った。
愚かで愛しい貴方を失うわけにはいかない。


緊張と困惑を隠せずに浦原を見詰める織姫とチャドに意識を戻して
扇子をパチンとたたみ、ニッコリと底知れない空気を湛えて浦原は微笑んだ。

口を開く。

「護るだけの友情ですか。ご立派な事だ。
 そんな下らない友情ごっこはアタシが終わらせてしまいますよ」

言葉は、ここにはいないに向けられていた。




空は悲鳴を上げて罅が集まり始める。









「・・・くそ・・・っ」


雨竜は人気の無い工事現場で虚に囲まれている。
何度攻撃を繰り返しても一向に虚の数は減らないで、増殖を続けている。

それが、雨竜がひとりで戦うことを選んだ結果だった。
なによりも己で招いた事態であったし、また、引けない理由がある。

「師匠」

貫かなければならないものがあった。
痛む指も、途切れそうになる呼吸も大した問題ではないと
それらを雨竜は思考から切り捨てた。




師匠。
貴方の死は必要なかったはずだ。
必要ないものさえも貴方は受け入れたのに。
何も変わらないなんて、なんて現実は酷いのでしょう。

だから僕は戦います。
師匠。

貴方が存在した意味を証明して見せます。




雨竜の決意を秘めた背中は、
それでも追いついた一護の目には途方もない孤独に映った。

ルキアに滅却師と死神の間にあった事情を聞いたとはいえ
当事者ではない一護に告げるべき言葉はない。

結局部外者なのだ。一護が一護である限りは。

ただ思うのは、それでも許せないという事だけだった。

「事情とか、知るか。俺は、虚を倒したいだけだ」

雨竜は滲む汗をそのままに視線を一護に寄越す。
「何故」

「おふくろが虚に殺された。だから倒したい。けどそれだけでもねえ。
 俺みたいな奴とか、俺の家族みたいにキツイ思いする奴とか・・・もういらねえんだよ。
 俺が見たくねえ。」

「・・・・!」

一護の過去と、一護に重ねて甦る面影に雨竜は言葉を失った。
せんせい、と心の中で呟く。

せんせい、僕は。
貴方を知らなかったのだろうか。
貴方が目指したものの尊ささえも。

雨竜は見開いていた瞳をゆっくりと伏せた。
一護はそんな雨竜を見ずに言葉を続ける。

「俺はスーパーマンじゃねぇから、世界中の人を守るなんてデケー事は言えねぇけど
 両手で抱えられるだけの人を守ればそれでいいなんて言えるほど、控えめな人間でもねえんだ。」

(俺は)

一護は口に出すには気恥ずかし過ぎてできないけれど
けれど胸を占める大きな想いを言葉にせずに呟いた。

「俺は、山ほどの人を守りてえんだ」
(そして俺の両腕をすり抜けて悠然と笑うアイツさえも)

全ての痛みと悲しみから。

 


雨竜を睨んで、一護は腹の底から怒鳴った。

「だからその山ほどの人間を巻き込んだテメーは許さねえ!
 けど今はそんな事を言ってる時じゃねえ!なにしろ敵の数が多い。
 やらなきゃやられる、だから仕方ねえ!テメーと組みたくもねぇ手を組む!
 テメー殴るのはその後だ!」

一息に言い放ち、一護は一度だけ深く息を吸う。
呆然と立つ雨竜に止めとばかりに告げた。


「てめーはどうだ?」


雨竜の中に息づく、幼い頃の雨竜が告げた。

小さな掌を差し出して。




みらいのぼくよ。
ぼくはしらなかったんじゃない。
ぼくはりかいしようとしていなかっただけだ。
かなしいげんじつを、ただ、かなしんでいただけだ。

だけど、ぼくよ。
みらいのぼくよ。

ぼくはもういやだ。

もうなげくだけのひびはおわりにしよう。
なげいてひていするじかんはおわりだ。

そのためのことばを
せんせいはのこしていてくれた。


雨竜は静かに微笑んで、小さな掌を握り返す。

「ああ、同感だ。過去の僕よ」






雨竜の表情が、霧を晴らすように変化を遂げた。








背中合わせに一護と雨竜は、周囲を囲む虚と対峙する。
しかし、襲いかかろうとせず天を仰ぐ虚の様子に、まずは雨竜が気づいた。

祈るような、その動きにつられて視線を上げれば。

軋む音を響かせて空に穴が開く。
そこから顔を出したのは信じられないほど巨大な虚だった。
空の穴を両手で押し広げ出ようとするその姿に一護も雨竜も一瞬言葉を忘れる。


「な・・・何だよ、アレ・・・・!?」


やっと一護がその言葉を漏らした瞬間に。


ザシュ!!と鋭い轟音が響き砂煙が巻き起こり、そして一護の視界に誰かが躍り出た。

赫い蝶を纏わせ走り抜ける後姿。
その一瞬で周囲の虚の多くは消滅した。

唖然とする一護の隣で雨竜は声を震わせる。
目の前に現れたその人物は良く知った顔だった。


が、死神だと・・・!?」

今感じるの莫大な霊圧のほんの欠片も、
雨竜は長い間同じ学校に通っていながら気づかなかった。

しかし雨竜は思う。
もし仮に徹底的に霊圧を隠せても霊絡の色までは隠せないはずだ、と。


「・・・・・・?」

一護は遠ざかるの背中を見詰めながら
その異変に気づいた。

!!」

の動き、表情のどこにも、余裕が無いのだ。
足も腕も震え汗は滴り、息も荒い。
それに不自然なくらいには一護達を省みなかった。

まるで本当に存在すら気づいていないような。


「おい、!!」


大声で名を呼びながら駆け寄ろうとする一護の肩を
背後から誰かが掴んで止めた。


「無駄っすよ。あのヒトはもう何も見えてないし聞こえていない」

「・・・・っ、テメエ、は・・・!」



「助けに来ましたよン、黒崎サン♪」



一護の肩を掴んでいた掌をゆっくりと離し、浦原はニコリと笑う。
そしてを視線で射抜いた。


「さあ、どうしてさしあげましょう」



穏やかに、底知れぬ怒りを含んだ声。
浦原の背後に居た商店店員一同は冷や汗を流す。


カランコロンと軽い音をさせ浦原はに向かって歩き出した。