浦原はゆっくりとした足取りでの後を追いながら、
自分の背後をついてくる一護に声を掛けた。
「サンはね。餌なんです。」
「餌・・・?」
「そう、甘く誘惑する芳香。虚にとってサンの霊圧は、餌なんです。
無条件で引き寄せられる甘美な存在。
そして引き寄せられた虚はサンの圧倒的な強さで叩き伏せられる。
人食い花ってあるでしょう?そんな感じっすね。
しかし問題はここからでしてね。
サンは、刀を振るって戦う時間が長ければ長いほど五感を失ってゆくんです。
どういう原理かはアタシも知りませんが、最初は触覚。次に視覚。聴覚。嗅覚。味覚。
次に声を失い、そして自分が生きているのかどうかの判断もつかなくなる。
心臓の音も聞こえない。痛みも感じない。それ故に戦いの中で怪我を負おうが気づけない。
知らぬ間に死ぬ可能性も存分にある。
だからあのヒトは強くて、いい匂いをさせるんスよ。
最高の効率でカタを付けるために周囲の敵を全て自分に向かわせ一瞬で屠る。」
淡々と紡がれる浦原の言葉に一護が愕然とした。
喉の奥が焼け付いて上手く声が出ない。
「じゃあ、アイツは・・・は、今」
何も見えず、何も聞こえず、何も感じないのに。
それでも戦っているというのか。
絶対的な、庇護。
冗談じゃないと一護は奥歯を噛み締めた。
の背中を真っ直ぐに睨みつける。
その一護の横顔を涼しい顔で眺めて浦原は再び口を開いた。
「黒崎さん、貴方との約束だそうですよ。貴方を護ると。」
「・・・そんなの、関係あるかよ!!」
冗談じゃない、関係ない。
約束も自分の弱さも敵の強さも、そんなものは問題じゃない。
こんな風に護られるのは耐えられない。
の戦い方は、信用も信頼も何もない。
巨大な虚を目の前に、それでもその瞬間一護の中の恐怖は跡形もなく消えた。
ただ純粋な怒りが迸る。
浦原もゆっくりとを見て告げた。
は踊るように虚達を蹴散らし、どんどん巨大な虚・・・メノスへと向かって走ってゆく。
「ああ仕方の無いヒトですねえ」
広げた扇子で口元を隠し、浦原は悠然と笑った。
空に道を作る飛行機雲の上を辿るように、の後に続くと虚は一匹も残ってはいない。
貴方がもう少しだけ弱ければ事は単純に終わっていたのに。
浦原はそう考え、真っ赤な杖を出した。
「死なせるつもりはないんですよ、生憎と」
羽織を大きくはためかせ
一護の視界から一瞬で姿を消した浦原は、一護が瞬きをもう一度したその時にはの目の前に現れて。
「いくよ、紅姫」
スラリと刀身を抜き放つ。
「ごめんなさい、東雲さん」
(・・・いや、すまない)
小さな呟きを零し、の手の中で悲しむ東雲を。
斬るように叩き折った。
29: Intersecting red and blue
「・・・・・っ、!?」
急激に五感を取り戻したはその場に倒れ込んだ。
激しい動悸と、酸素を取り込む肺の動き。
体を大きく上下させて地面に頬を着くその姿に、駆け寄った一護はゾッとした。
口は呼吸を求めてだらしなく開いたまま。
顔色は真っ青を通り越して白い。
苦痛に表情が歪んで、開いた目はまだ十分に視力を取り戻せていない。
浦原は無言での頭のすぐ傍に立ち、見下ろした。
「全身、痛いでしょう。随分と怪我をしてますからね」
「うら、は・・・ら!!テメエ・・・!!」
は霞む視界の中で浦原を見つけたが
すぐに咳き込みのどの奥に引っ掛かっていた熱い塊を吐き出した。
「・・・血・・・!!」
地面に吐かれたそれを見て、一護が声を荒げる。
「どう、いうつもり、だ・・・浦原!!東雲を・・・!」
の弱々しい声を聞き流して浦原は目を細めるだけだった。
ちくしょう。
一護は掌を握った。
ちくしょう、これは俺の戦いだった。
俺が勝手に石田と始めた戦いだった。
なのに一番戦ってるのはで、
一番傷ついてるのもで。
「こんなの、違うだろ・・・!!」
一護の声が小さく耳に届き、は浦原に見下ろされたままゆっくりと微笑んだ。
何かに満足したように、ほんの小さな陰りも見せずに。
「・・・約束。・・・破ったら、殺されても文句は言えない。
・・・どうせ死ぬんだった、ら・・・俺は、約束を護るよ。」
囁くような声が、それは傷に響かないようにする為だと察知して。
一護は泣きそうになる。
「俺は、呼んでねえだろうが・・・!」
そんな一護を見て笑う呼吸もささやか。
「黒崎ー・・・」
「・・・?」
はゆっくりと一護に向かって少しだけ手を持ち上げる。
そのの表情に一護は心臓を鷲掴みにされた。
「お前、怪我してねえ?・・・・だい、じょーぶ?」
「・・・・・っ!」
なんでお前がそんな事を言うんだ。
どうしてお前が言ってしまうんだ。
何もかもが間違ってると、一護は思った。
自分がどんなに弱くても、がどれほど強くても。
こんなのは間違っている。
の言う約束は、果たされてはいけなかったのだ。
一護の中の何かが。
その時パチンと弾けた。
そして一護はまるで何かから逃げ出すようにメノスへと向かって走り出した。
「・・・大人しくしててくださいよ、さん」
冷たい浦原の声の静止も聞かず、はヒタリと掌を地面につけて力を入れる。
体を持ち上げようとしていた。
「我慢の限界だと、言ったでしょう」
冷徹に言い放ち、浦原は刀を納めた杖での手の甲を強く抑え
うつ伏せになったその鳩尾に蹴りを入れる。
鈍く重い衝撃に、は再び地に伏した。
「・・・っぐ・・!」
「斬魄刀も無いのに、どうしようというんです?」
「テメエが・・・!!」
「そう、アタシが壊した。・・・簡単に。
それほどまでに貴方の体は限界だったんですよ。メノスなんて相手にできる訳が無い」
それでも。
それでもと、顔を上げて一護の背中を見詰めは思う。
振り上げられる大きな刀。
「だけどさ、俺は」
後悔だけはしないんだよ。
泥の中に沈むように目蓋を閉じて気絶したを
そっと優しく、ガラス細工を扱うような手つきで抱き上げた浦原は。
「・・・貴方はそうやって、いつでも不幸そうじゃない。
だからアタシは目を離せないんですよ」
諦めたような、けれど深くどこまでも愛を感じさせる声音で囁いた。