一番隊から出たの表情は満面の笑み。
背後で閉まる扉の音を聞いてスキップで歩き出す。

「ふんふふふーん♪」

歩きながら、の腕の自由を奪っていた拘具は風に吹かれた塵のように空気に溶けた。
それまでが夢か幻だったかのように最後には何も残さずに。

一番隊詰め所の前で待っていた見張りの死神はギョッとしてそれを見詰め、刀に手を掛けた。
柄に指が掛けられたその僅かな音にの足がピタリと止まる。

「止めといたほうがいいと思うけど」
チラリとも視線を寄越さずに言い放つ

声だけが冷然としていて、総毛立つ空気が一瞬で広がった。
言葉は必要としない圧倒的な力の差が二人の間には存在していた。

不運にも新米だったのかその死神はそれだけで指先から震え出す。
は「あーあ」と愉快そうに笑って、ゆっくりと顔を向け、不気味なまでに整った笑顔を見せる。
感情を一切伴わない、完璧に作り出される微笑。

の機嫌は今、実は最高に最悪だったのだ。


恐怖に固まった死神はこの後数時間、の玩具にされるのであった。
ぎゃーやめてください、いやーっと、悲鳴が木霊した。



十番隊にまで届いたそれに日番谷は忙しく筆を走らせていた手を止めてコッソリと微笑んだ。
そんな余裕があるのは、今この状況でも笑えるのは、誰よりもが何一つ諦めていないからだ。






懐かしく眩しい日々が甦る。
光を増して目の前に。













36:  僕は君の面影に恋をする
















夏休みだ、と。
啓吾は蒸し暑い部屋の、汗で湿った布団の上で目蓋を持ち上げて思った。
みんみんみんみんウルセーよ蝉、と唸って、ああでも蝉は何年も土の中で外の光に焦がれてきたんだろうなと思った。
暗い地中、たった一週間太陽を見るために生き続けたのを思えば、この声も喜びの歌に聞こえなくもない。
・・・まあ、それはさておき。

「・・・夏休みだよな」

水色も一護もチャドも井上もみんなみんな用事があって、ひとりきりの夏休み。
それはそれでかなり物凄く寂しいが、それよりももっと悲しい事がある。

ただ漠然と悲しい。
衝動的に湧き上がる寂しさと焦燥感がある。

「楽しみにしてたんだけどなー」

色んな所へ行って、日焼けをして、馬鹿をして、笑い転げて。
それをずっと楽しみにしていた。
あいつらと、過ごす夏休みを。


あいつと。


「・・・誰だよ、あいつって」


ここ数日、“あいつ”を思い出すたびに無性に泣きたくなる。
終業式の日くらいからだ、と啓吾は本格的に泣きそうになって目蓋をきつく閉じた。
それでも押さえれそうになかったので拳を握って目蓋の上から強く押し付ける。


手当たり次第に誰かに電話して遊びに行こう。
こうなれば普段そんなに遊ばない奴でもいい。
それも駄目なら人が沢山いる所に行ってナンパしてもいい。
こんな風に閉じ篭ってたら頭がおかしくなりそうだ。

「・・・誰なんだよ、お前・・・っ」


この脳を甘く悲しく締め付けるこの面影は。










青い海と青い空が地の果てで繋がっている。
温かい陽射しと、麗しい女性達の呼ぶ声。

それでも水色はふとした瞬間に表情を失って空を見上げた。
まるでそこに自分を慰めるものがあるかのように。

「水色」
「・・・ああ、どうしたの、マリエさん」
「カクテル飲まない?折角だし」
「ボク未成年だよ?」
「今更だわ」
「・・・そうかも」

背伸びをして、香水の匂いがする頬に口付ける。

「じゃあ、アリーゼ・ブルーのカクテルを」

空にも海にも負けない青さを。
願わくば意味なく開いたこの心の穴を満たしてくれるほど甘く酔わせてほしい。













「あれ?恋次も来てたのか」
「・・・・!?」

ルキアが収容されている六番隊管理下のある一室に、の気配は突如生まれた。
というよりも声が発されるまで恋次もルキアもその存在に気付いていなかった。
その証拠に二人は固まっている。

先に動きを取り戻したのはルキアだった。

「な、何故お主がここに・・・!?いや、それよりも何故そんな堂々と、・・・っ違う、だ、脱獄か!?」
「あっはっは、焦っちゃってカワイーの」
・・・!」
「まー俺の事は気にすんな。大丈夫だからさ」

気にするな、だ、なんて。
無理に決まっているのに。そんな風に拒絶しないでくれとルキアは思った。
頼りにしていないと言われるのと同じで、仕方が無いとしても悲しい。
悲しいと思うことすら間違っているけれど。

で、ああやっぱり朽木はいい女だなと思っていた。
こんな状況で俺の心配をしてくれるなんて可愛い。なんて可愛らしいお姫様だろう、と。
死ぬのは許さない。

(これは俺の我儘だ)

我儘を貫くなら賭けるのは自分。
にしてみれば当然のことで自然な事だった。そんな我儘すらも自分の自由だと言い張るなら。


まだ固まったままの恋次を無視して檻に近付き、腕を差し入れて優しくルキアの頬を撫でる。
「・・・少し、痩せた?」
「ばか、もの・・・っ」
「そればっかだねー俺泣いちゃう!」

わざとらしく言って、次に「ねえ」と囁いて、指は漆黒の髪に絡ませる。
その目には奥底まで優美さが広がっていた。

「お前を助けに来る男が居る。だから諦めてやるなよ」
「・・・・・っ、来るなと、言った・・・!」
「来るさ」

あいつなら。

「俺が友達と認めたアイツはそういう奴だ。んで、お前が守ったアイツはそういう男だ。
 ぜってー来る。確実に来る。賭けてもいいよ」

泣きそうになったルキアに、困ったような表情を見せてはずっと心に誓っている事を口にする。




「お前はアイツが守る。アイツを守るのは俺。大丈夫だよ」



じゃあ貴方を守るのは誰なんだ、と恋次はまだハッキリ働かない頭で考えたが
それはとても野暮な疑問に思えたので口にはしなかった。

十番隊詰め所では銀色の小さい頭がくしゃみで揺れた。