ああ可愛い女の子に会った後は気分も良いなぁ。
そんな事を思いつつ廊下を闊歩するの表情は随分と柔らかくなっていた。
ぎしぎしと床板を鳴らして進む。
堂々と真ん中を、それがまるで自分の為に敷かれた赤い絨毯の上であるかのように。
が足を着いたその場所は確かに彼の場所だった。他の誰にも譲られる事無く。
朽木はきっと極刑だろうな、と、は冷たく考えた。
そしてそれを兄である白哉が庇うとも思わない。
変わってないなここは、と思う。
変わらないことを美点とでもいうのか、と皮肉に笑った。
そして空を仰いだ。
「だが俺は言ったぜ、朽木。絶望するな」
強大で暗い策謀を前にしても悲しまなくていい。
は太陽に手を翳し目を細めた。
「まぶしー」
それはとても遠い空だったが優しい色だった。
37: コズミック・デイ
「!!」
大きく名を呼ぶ声に振り返れば、そこに立っていたのは松本乱菊だった。
は松本の豊満な胸に目をハートにして「ムホホー」と妙な声を上げて手を振る。大きく、子供のように。
そんな平和そのもののようなの態度に松本は般若のような形相で近付いた。
そして素早く伸ばした腕での胸倉を掴む。
顔を引き寄せた瞬間表情が揺れたのは松本の方だった。
「暢気に手を振ってんじゃないわよ馬鹿!アンタ、アンタねえ・・・!どういう事よ!
さっき隊長にアンタが戻ってるって聞いて死ぬかと思ったわよ!?」
過去に別れを告げた。
姿が見えなくてもいい、声が聞こえなくてもいい。
きっと幸せでいてと願っていた相手。
手放したのは“ここ”ではそれが叶わないと知っていたからで。
「どうして・・・!」
少し涙目になりながら捲くし立てる松本を見ては笑った。
可愛い女性ってのは何してても可愛いなーとか考える。
怒った声も顔も可愛い。
胸倉を掴まれたまま腕を持ち上げ、指先で松本の涙を拭う。
そしてサラリと柔らかい髪に触れた。
松本の頭の中でフラッシュバックが起こる。
過去と今を繋ぐ時間が急速に距離を縮めていった。
離れていた時間は悲しいほど長かったはずなのに、この一瞬で埋められてしまう。
は黙った松本を真正面から見詰めて首を少しだけ傾けた。甘えるように。
「まあ必要だったからさ。さらに美人になったね、松本ちゃん」
「・・・・っ、・・・」
どんなに詰め寄っても泰然と笑うに松本は脱力して手を離した。
顔を覆って天を仰ぐ。
いつまで経っても敵わないのは一種の幸せだった。
「・・・隊長に、拘束されてるって聞いたんだけど」
「あっはっは。俺に格子は似合わないしなー」
「・・・・・・・・・・」
「でも朽木はまだだ。俺の持ち札じゃ俺の自由しか奪還できなかったんでね」
松本は知らなかった。
の自由がどれほどの意味を持っているのか。
たったそれだけでどれだけの人が救われるのか。
顔を覆っていた手を外してを見れば、それは男の顔をしていた。
松本は息を呑む。
どこまでも透明でそれでいて鮮やかで、美化された過去の記憶など簡単に塗り替えてしまえる力を持っていて。
松本は何かを考え、それから姿勢を正してと向かい合った。
「おかえり、って、言っていいの?」
真剣な松本の表情には曖昧に笑うだけしかしなかったが、
それを卑怯だと松本は思えなかった。
「なんやー。帰ってきとるっちゅう話、ホンマやったんやなあ」
唐突に降った声は、にも松本にも聞き覚えのある声で。
二人は声がした方を同時に振り返り、そして同時に不快そうな顔をした。
「うわ、キツネだ。」
の悪言も意に介さずその人物、ギンはを抱き締める。
「その呼び方懐かしいわーそんなん言うのだけやし」
「・・・・ギン、セクハラで訴えるわよ。を離しな」
今にも刀を抜きそうな気迫で松本が言えば、ギンは意外にもすんなりとから離れた。
ギンはその昔にはの上司だった事もある人物であり更には執拗にに言い寄る隊長格の一人である。
どこまで本気かはこの通り計り知れないが。
「六番隊隊長の妹さんと一緒に捕まったんやて?よう自由にしてもらえたなぁ」
「手段は選ばないのが俺の性分だ」
「相変わらずエエ男やね」
ちょっとギン!と止める松本を無視して二人は笑顔のまま剣呑に睨み合う。
ギンは最初から然程興味が無かったのか話題を変えた。
「六番隊の副隊長クンは荒れとるようやで?」
「ああ、すげえ怒られた」
「あの子はを神格化しきっとるからな」
嘲るように笑って言うギンに、はそうだろうか、と思った。
思い出す恋次の言葉と表情はそれよりももっと身近な身に覚えのあるような感情。
素直に嬉しく感じるくらいの。
しかしそんな思考はギンの言葉に遮られた。
ここから先は二人とも松本の存在を意識の外に追いやって。
「何しに帰ってきたんか知らんけど、余計な事はせん方がエエよ?」
「お前こそ余計な口出しはしないほうが良いぜ?」
笑みの応酬。
松本はその異様な空気に圧倒されて言葉を失った。
ここに繰り広げられている見た目穏やかな、それでいて壮絶な戦いに。
は全ての王であるかのように目を輝かせて言葉を告げる。
「俺がどう生きるかは俺が決めることだ。」
「そのせいで死んだ人も居てんのに?」
「ああ」
「傲慢なお人やなぁ。せやけど、相変わらず好みやわ」
「すっげえ迷惑」
スパリと言い捨てられギンは「あらら」と呟いたが傷ついた様子は無い。
きっとこれが恋次なら泣いていただろう。
ほな、と簡単に背を向けたギンに、今度はが問うた。
何気なく。それでいて沈黙を許さない響きで。
「変わったな、ギン。ここは変化が殆ど無いからそういうのは目立つぜ?」
「さよか。エエ話やないの」
「・・・・・・・ギン」
ギンはゆっくり振り返ると、冷たく笑った。
「肝心な時に抱き締めてくれへんかったあんたに、何を言えいうん?」
何も言えなくなったの背中を、ただ呆然と松本は眺めていた。
知らない、知る術も無い膨大な過去を憂いながら。
「・・・・・・・・あー、疲れた」
松本と別れたその後、一部の隊長格が一目に逢いたくて走り探し回っている中で。
当の本人はそれらを上手く回避して自由な体で一番に逢いたい人を目指していた。
王子だろうがなんだろうが愛の前では等しく跪くのさ、と。
どこか縋るような気持ちを隠しては顔を上げる。
行き着いた場所はとある隊首室。
そっと扉を開いて中の様子を伺おうとしたが、その前に中から強い力で腕を引かれた。
腕を引いたのは勿論、部屋の主日番谷。
「おおう!?」
そのまま倒れ込むように部屋の中に入れば、細い腕に抱き締められて床に膝を着く。
一瞬のタイムラグの後、懐かしい匂いにも腕を回す。ぎゅうー。
ああちくしょう、泣きそうじゃねえか。そんなことを思う。
どんなに悲しい現実も、誰かが抱き締めてくれたらそれだけで救われる。そんな瞬間がある。
そう思ったらさらに悲しくなった。
視界を掠める銀色の髪。ずっと細いのに抱き締められれば包まれている感覚がある腕。
「」
子供のくせに、眉間に皺を寄せて低い声で喋って。
でも全部が優しい。
なにもかもを、自分の知らない罪さえ許されると信じてしまえるほど。
とうしろう。
とうしろう。
とうしろうとうしろうとうしろう。
頭の中は一つの名前を繰り返し呼ぶだけで、恋してるなーとはしみじみ自覚した。
抱き締める日番谷は日番谷で、渇望し続けていたが腕の中に居る事に酷く感動している。
会いたかった。声が聞きたかった。抱き締めたかった。
そんな底の浅い欲望を今更ながらに目の当たりにする。
自然と腕に力が篭った。もう手放せない。
「ぐえ。とうしろー、ちょっと苦しい」
力一杯抱き締められていたので文句を言えば、耳の近くでフンと鼻で笑われる。
それさえも懐かしく愛しい。一度は自分で切り捨てたものだというのに。
「・・・色気の無い声を出すな」
「スイマセンネー」
「来るのが遅い」
「いや、じゃあ迎えに来いよ」
「不公平だろうが」
「ナニガ」
「俺ばかり追いかけてる」
そんな事無いと思うけど、という前に塞がれた呼吸に目を瞑り、ほんのひと時睦み合う。
離れていた時間など意味を失うくらいに。
しがみつく様に日番谷に抱きつきながらは深く溜め息を零した。
「・・・どうした」
「ちょっとな」
落ち込んでるのさ。
記憶に甦るギンの表情は、自分の自由が生んだ影かもしれないと。
そう、思った。
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訂正。