早朝。まだ空が白みかけて間もないその時刻には目を覚ました。

少し身動ぎをして、目の前に日番谷の寝顔があることを確認して笑う。
逃がさないというように背中に回る腕をそっと解いて布団から抜け出し、手近に脱ぎ捨ててあった着物を羽織って窓に向かった。

見上げれば西の空に猫の爪のような形をした月が浮かんでいる。
東の空は光を放ち、まるで月は太陽に追い立てられて地平線に向かっているようだ。


「・・・どうかしたのか」

暗闇に静かに響く優しい声音。
振り返れば、目蓋を持ち上げた日番谷と視線が繋がる。
は吐息を零すように微笑んで首を横に振った。

「どうもしないさ」

その姿は今にも消え失せそうな幻のようで日番谷はゴクリと喉を鳴らした。
立ち上がって歩み寄り、柄にも無くたどたどしい手つきで抱き寄せてキスをする。
柔らかさと体温を確認するために。

は日番谷の肩越しに空を見て、目蓋を閉じた。



けして澄み渡る事は無いこの空に、懐かしさが広がってゆく。









40:シャウト・トゥ・ザ









「おっはよーん恋次!今日も素敵な眉毛だねー。」
「・・・、さん」

六番隊の詰め所に向かう恋次に声をかけたのはだった。
平然と話しかけてくるに苛立って、恋次は視線を逸らす。

けれど内心安堵しているのも事実だった。

が姿を現してから数日、胸の奥底には拭えない不安がある。
またいつ別れが来るのかは誰にも分からないのだから。永遠に来ないかもしれないし五分後かもしれない。
恋次はそれが恐ろしかった。
何も知らずに何もかもが始まり終わってゆくのは、一度だけでいい。

恋次は何かを決意して、の目を真正面から捉えた。

さん、約束してくれませんか」
「おう?何だよ」
「もう昔みたいに一人で何もかもやってしまわないでください。決めてしまわないでください。頼ってください。
 ・・・俺はずっと、それに足る努力だけはしてきました。」

恋次の視線に射抜かれたままはその言葉を噛み締めるように微笑んだ。
一度だけ、ゆっくりと。

「ありがと。・・・頼りにしてるよ、ちゃんと」

囁く言葉。
けれど恋次はもう騙されなかった。
そんなのは優しい嘘だともう知っていた。
「・・・ッ」
乱暴にの肩を押して壁に押さえ込み、睨む恋次の目には陽の光に反射する水分があった。

「誤魔化さないでください、そんな嘘、誰ももう騙されない・・・!」
「恋次」
「貴方は裏切ったんだ、忘れたのかよ!?貴方を愛した人を全部、裏切ったのに!」
「ああ、そうだな。逃げたからな」
「違う!」

違う。そんなのは違う。
それでが幸せになるなら、誰もそれが裏切りだなんて思わない。寧ろ命をかけて助力しただろう。
がした裏切りはもっと残酷だった。

「違うだろ、どうして分からねえんだよ!どうしてこれだけ時間があったのに分かってないんだよ!!
 貴方はずっとここで“幸せなフリ”をしていたんだ、貴方を何よりも大事に想ってる人間の、前で・・・・ッ平然と、ずっと嘘を・・・!!」

辛いならそう言ってくれればよかった。
悲しいならそう告げてくれればよかった。
言えなくても、どうにか気付ける何かを残してくれればよかった。
不幸の匂いを、一瞬でも匂わせてくれたら。

完璧に偽装して、微笑んで、幸せそうに笑って。
そうしてある日突然前触れも無く姿を消すなんて。

幸せになれないからと、居なくなるなんて。


「馬鹿みたいだ、俺は、貴方と一緒に居て勝手に幸せだった・・・ッ」

の両脇に腕を着いて俯いた恋次の足元に数滴の雫が落ちたのを見て、は目蓋を伏せた。
そして思い出す、離れた指先。悲しみを振り切るように閉じられた目蓋。
泣き出しそうな瞳で囁かれた、言葉を。

(笑え。何処だっていい、誰の傍でもいい。お前が本当に幸せな場所で、ちゃんと笑え)








恋次が去った後もはその場を離れず壁に背中を預けたまま、自分の足先を見下ろしていた。
もう乾いた恋次の涙の跡に、曖昧な笑みを浮かべる。

「・・・頼って、かー・・・」

だけど、自分でもどうしようもないようなそんな何かを、大事な誰かに背負わせたりできるだろうか。
自分で始めた戦いを、苦しいからと大切な誰かに委ねるなんてできるだろうか。

「難しい事言うな・・・アイツ・・・」
「そうでもないと思うよ?」
「おわ!?」

いきなり耳元で囁かれが顔を上げると、いつの間にか隣には京楽が立っていた。
笠を被ったその男は笠の影で微笑むとの頭をポンポンと撫でた。

「・・・おっさん」
「帰ってきたんだって?浮竹に聞いてなー。いやー探した探した」
「・・・まさか覗いてたのか?」
「やだなー。立ち聞きって言ってよ」
「変わりねえし・・・」

呆れたように呟くが表情に嫌悪感は無い。
は隣に並んだ京楽の腕にこてんと頭を預けて目蓋を閉じる。

「・・・難しいだろ。頼るっていったって、“ジュースの缶開けてー”とかいう次元じゃねーし」
「その程度の気軽さでもいいと思うけどね、ボクは」
「あのなあ」
「君は頑張りすぎだし自己犠牲が過ぎちゃう節があるでしょ」
「・・・」

どこかで聞いたような台詞に沈黙する
あのゲタ帽子、今頃怒り狂ってんだろうなーなんて考える。

そのを見下ろして京楽は子供を諭すように微笑んだ。

「今まで頑張った分、ここらで楽しちゃっても誰も文句言わないよ」
「・・・俺が言うね。絶対言う。そんなのご免だ。」
「そんなお口はボクが塞いじゃうから大丈夫」
「この変態オヤジ〜」
「でもきっとその前に、十番隊隊長が塞いじゃうかー」

京楽の言葉に目を見開いたは次の瞬間。

「・・・ああ、そうかもな」

優しく微笑んだ。












瀞霊廷に警戒令が響き渡ったのは昼近くになった頃だった。
その頃には与えられた自室で暇を持て余していたは、悠然と窓の外を眺める。
懐かしい風が頬を撫で、通り過ぎる。





再会の時が、近付いていた。