「ギャー!!ちか、近寄るな、ヘビ男!タコ男!」

「フフフ、イィですねえ、その表情!エレガントには遠いが、それもイィ!」

「フギャー!!シャー!!」


ぐにゃりぐにゃりと曲がりながら追いかける岩田と、机や椅子を投げ飛ばしながら逃げ回る
二組教室は瓦礫の山と化している。

隅に避難したクラスメイト達は顔を見合わせ、人身御供になる役目を無言で擦り付け合った。
つまり誰が止めに入るのか、という話だ。


「・・・・さあ、いきなさい。中村君」

原は肘で中村の腹を突付いた。ボヨン、とはねる。
あわてて腕を引っ込めて「ああいやだ」と呟いた。

こんなのなら脛毛のほうがマシよ。無精ヒゲのほうが全然良いわ。
だからってどうだという話でもないけれど。


原はブツブツと呟いて、下降した機嫌を隠そうともせず中村を睨みつける。
早く行け。顎で催促すると、中村は二歩だけ後退った。



「え、ええ?俺?そぎゃん無理ばい!単身特攻は専門外、スカウトにやらせんね!」

「上官命令よ。行って死んできなさい」


ぐぐぐ、と言葉に詰まる中村。腹の底で毒を吐いていた。
何が上官だ、底の浅い女め。


覚悟を決めた中村は岩田に近づいた。


「いい加減にやめんね。本気で嫌がっとるばい」

が中村の背後から投げた机を中村は振り返らずに最小限の動きで避けた。
岩田はぐにゃりと身体を捻って避ける。

くきー!とが叫んだ。


「本気で嫌がる、フフフ、つまりそれは本気でワタシを相手にしているという事ですよ?」

「それがどぎゃんしたとね」

「愉快だとは思いませんか」

「そら悪趣味言うんばい」


飛んできた椅子を回避して、岩田は柔らかく微笑んだ。


いつの間にか岩田は不恰好な踊りを止めて、ただの男のように立っていた。









しかし暴走した人間は急には止まらない。


その喧騒は薄い壁をものともせず一組にまで響き渡り、は頭を抱えて唸っていた。







黒い空気を纏って机に突っ伏すを、一組の面々は遠巻きに見ていた。
ただ一人、空気を読まない(もしくは読んでいるが気にしない)瀬戸口を除いて。

鼻歌交じりに「お前さんも苦労人だね」などと言う瀬戸口を睨みつけ、は立ち上がった。


「・・・・嘆いたって仕方ない。」


のどこか悲壮な決意を鼻で笑い、瀬戸口は愉快そうにの頭を撫でる。
この色欲魔人め。
の眉間に皺が寄った。


「お、何だ。結局止めに行くのか」

喜劇を見ているように大袈裟に手を叩く瀬戸口にの血管が一つ切れた。

ああそう、そうだった。そうだな。
何も俺一人で背負う事はない、俺達は戦友なのだから。
意地悪な画策がの脳を占め、行動に移された。

「・・・調度良い、瀬戸口も手伝ってくれ」

言いながらガシリと瀬戸口の腕を掴み引きずって教室の出口に向かう。
当然瀬戸口は大慌てだ。

何せとの交流は、先日の一件以来無い。
印象はお互い最悪のまま不干渉を決め込んでいたのだ。

役立つどころか油を注ぐ効果しかないだろう、と瀬戸口は苦虫を噛んだ。



「俺!?冗談は止せよバンビちゃん。俺に何ができるって?」

と仲が悪いだろう?毒をもって毒を制す。」



唖然。

俺はつまり、毒って事ね。

ああ、愛の宣教師も落ちぶれたもんだ。

瀬戸口は高い空を見上げ、なすがままに引きずられながら、


未だ逢えない愛しい姫を想って目蓋を閉じた。












バリーン!!



が二組のドアを開くのと同時に、のすぐ側の窓ガラスが飛んできた机によって割られた。

「アララ」

大きな破片を摘まんで持ち上げ呆れたように瀬戸口は息を吐く。
は冷たい目でそれを眺め、次に教室内に視線を向けた。

真っ赤な顔で大暴れする


は瀬戸口を自分の前に突き出した。


「出番だ」

「ええ!?」

「喧嘩を売ってくれ。の君に対する『嫌い』は普通と種類が違う。
 頭を使う分、冷静さを取り戻す」

「・・・いや、何で俺が」

「・・・・仕置きは、それから俺が十分にしよう」


くっくっくっくっく。
底響くの笑い声に瀬戸口は数歩下がり、瞬時に理解した。
つまり、転入生二人の上下関係を。

仕方ない。長いものに巻かれるのが俺の性分でね。
瀬戸口は好色らしい笑みを湛えてに近づいた。


「いよう、荒れてるねお前さん」


空気にそぐわない明るい声音に二組一同は視線を集中させた。
の顔も、ゆらり、と、瀬戸口に向けられる。



「消えろ、失せろ。お前の相手してる精神的余裕はねえ」

片手に椅子をぶら下げて、据わった目でが睨みつける。
瀬戸口はいつもの調子を狂わせる事無く、わざとらしく肩を竦ませて口を開いた。



「俺もできればそうしたいんだが。生憎退けない理由がある。
 お前さんも自分の立ち居地を確認した方が良いんじゃないか?四面楚歌、ってね」


瀬戸口の言葉に覚醒したように、狭まっていたの視界が一気に開けた。
そして視点の中心に立ったのは。


「・・・・、・・・・・!!・・・・」


「言い訳はゆっくり聞いてやる。・・・・来い」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」





ニッコリと。
ニッコリと深く、状況さえ違えば天使の微笑だといえる笑みを見せて手招きする

は真っ赤な顔を急速に色換えして青くなった。
身体に悪そうだな、と瀬戸口は思う。
少しだけが不憫に感じた。

に続いて教室を出てゆくの姿には、いつもの太太しさや尊大さはなく
まるで肉食獣に怯える草食動物だったと後に語られることになる。











「この、大馬鹿!!」

スパコーン!!

「ってええ!!」



裏庭にて。


砂場に正座させられたに額を思い切り叩かれて声を上げた。
地面ではなく砂場に正座、というのはの情けである。

「痛ぇ・・・」

再び小さく漏らして額を擦りながらは俯いて少し微笑んだ。
変なトコで優しいんだよな、とか考える。


「お前は・・・・!仲良くなれと言ったはずだぞ!
 ・・・しかも岩田相手に!アイツはそれでなくても多くのことを知っているんだ、下手な真似は止せ!」

「ごめん」


は即座に謝った。
少しだけたじろいだはもう一発軽めにの頭を叩く。


「反省したか!」


「しました」


「なら良い!」


あ、いいんだ。
苦笑いするの隣にはドカリと腰を下ろした。

運動場にいた尚絅高校の女生徒は、
砂場に並んで座り込んでいる男二人を不審者を見る目つきで眺めている。
しかしまあ、二人は勿論そんなことは気にしなかった。

暫くの沈黙の後、先に口を開いたのはだった。
が作る砂の城を見詰めながらゆっくりと言葉を選ぶ。

考えてみれば可笑しな話だった。
はこれで結構思慮深いというか、嘘が上手い。

本当に苦手でもそれを感づかせないくらいの芸当はできる。


「・・・で?」

「んー?」

「岩田がどうかしたのか」

「んー・・・」


はポリポリと鼻の頭を掻いた。


「・・・なんかな。一瞬、あの男の匂いがしたからカッときてさ」

「あの男・・・?」



は眉を顰めたの顔を覗き込むように見て、告げる。





「多分、Aだ」





二人の多目的結晶が鈍い光を放ち、空を微かに歪めた。