憧れ。
羨望。
嫉妬。
芽吹く友情の劣等感。
純粋培養少年
「ーー!」
ハンガーの外から叫び声がして、は工具を握る手の動きを止めた。
小さく溜め息を吐くと、傍で昼寝をしていたブータがンゲーと鳴く。
機械音の激しいハンガー内にも届く声を出せるのは一人しかいない。
首に掛けてあったタオルで滴る汗を拭い、は立ち上がった。
「整備中に何の用だ。滝川少年」
階段の上からヒョイと顔を出し、下を覗けばそこには滝川が大きな弁当箱を持って立っている。
おや、とは小首を傾げた。
「彼女ゲット?」
「違ぇーよ、嫌味な奴だな!味のれんの親父からの差し入れ!!」
もー皆集まってるからさー、と滝川が叫ぶので、は分かった分かった、と手を振って階段の手すりに体を預けた。
「でも俺はイイや。俺の分はお前が食いな、少年」
にしてみればなんとも理にかなった意見だった。
自分は成長を必要としないが、滝川はそうではない。
成長過程、食べ物は多くある方が良いに決まっている。
戦争中だからといって子供の食べる物まで不足させる方がどうかしているとは思う。
大人は子供を守るべきだ。それはの持論であり、また、大人としての自覚だった。
そういう意味では公平に全員に分けるべきだが生憎それは無理というもの。
なんたって、そう、戦争中なのだから。
だからこそは好意に応えることにした。
わざわざ自分を探しに来た少年に、礼をと。
「そんなの駄目だって。親父は皆にって言ったんだぜ。の分もちゃんと分けてるんだからさ」
「は休みだぞ、今日。昨日無理しすぎたからなアイツ」
「知ってるよ。だからちゃんとお前も食って、で、の分持って帰れよ」
「律儀なこった。お前損するタイプだろ」
「損なんてしてねえよ!」
は大きく笑った。損を損と捉えない滝川は好きだった。
というか、滝川にしてみれば実際、それは損ではなく友情なのだろう。損得抜きの原初の感情。
手すりから体を離し、伸びをする。
その背後でブータも真似をするように伸びをした。ンンゲーと声が漏れる。
その声には振り返り、ブータを抱え上げた。
「コイツの分もあんのか?」
「デブネコにはネコ缶で十分だっつうの」
違いない。は笑って頷き、ネコ缶代の半分は出してやろうと考えた。
ネコ缶を買いに売店に向かい歩きながらは隣を歩く滝川を見た。
背の高さはさほど変わらないので、目線の位置もほぼ同じ。
「なんだよ、何かついてるかオレの顔」
照れた時、拗ねたような顔になるところは可愛いな、とは思う。
背中にブータをぶら下げて歩きながら、滝川の頬の傷跡に指を這わせる。
「・・・最近は、何処で寝てるんだ?速水の家にも行ってないんだって?」
「・・・別に、新市街とか、で・・・・」
「俺の所に来ても良いんだぜ?」
「・・・・」
だってが居るだろ、と滝川は思った。
できれば学校以外で自分以外のパイロットには関わりたくない。
劣勢感。
ほんの半月で彼等に大きく差をつけられ引き離された感覚は滝川を容赦なく襲う。
家に帰れば母親が居て、安心して眠る事もできなくて、速水の家に逃げていた。
けれど今はそこも居心地が悪く、最近は新市街の通路で野宿している。
黙り込んだ滝川を横目で見ては小さく溜め息を吐いた。
「あんまり野宿はすんなよ。憲兵も最近は性質が悪くなってる」
目の前のこの適当な生き方をしているクラスメイトの隣は楽だ、と滝川は思う。
適当な振りをして、授業もしょっちゅうサボって、そのくせ睡眠時間を削ってまで整備をして。
けれどどこか、奔放で。
自分のように縛られず、何も妬まずに己の高みを目指している。
それは純粋な憧れの感情。
「は何で整備士になったんだ?志望したのか」
「ああ?」
「だって、戦車技能あんのに」
戦車技能さえあれば誰でもパイロットになれる。簡単な訓練だけで戦場に送られる。
単純に兵が足りないからだし、そのおかげで滝川はパイロットになれた。
他のパイロットのように特出した技能も鍛えられた腕も絶対的な意志もない滝川でも、だ。
冷静に分析すれば自分などよりはずっとの方がパイロットに向いているのではないかと滝川は思う。
結局パイロットになれても、狭いコックピットの中で震えている自分よりは。
「俺は俺の戦い方があるのさ」
「整備が?」
「そう。武器が戦うんじゃなく武器を扱う人間が戦うが、まあ武器が高性能整備万端なら生存確率も跳ね上がるだろ?」
滝川は徹夜で整備をするの背中を思い出した。
汗とオイルに塗れてそれでも手は動いて、工具を操る。
ああ、そうかと酷く納得した。
ただ戦場の位置が違うだけだ。扱う武器と敵が違うだけ。
パイロットは幻獣と戦い、整備士はパイロットに歩み寄る死と戦う。
情けないと思った。
戦いに震える自分が、情けない。
彼ら整備の誂えた武器すら満足に扱えない自分が、己の戦いをまっとうできない自分が。
そして突如理解したのは、速水や、その他のパイロットに向かう感情の意味。
劣等感のその奥に潜んだ罪悪感だ、と滝川は呆然と思う。
彼らと共に戦場に出向き、なのに彼等の背中に守られている現実。
それが生み出す居心地の悪さは随分傲慢な感情に思えた。
「・・・俺・・・俺、さー・・・エースパイロットに、なりたいんだ」
「ふうん」
「アルガナとか獲ってさ、子供のヒーローになりてーんだよ」
大好きなアニメのあのヒーローのように。
憧れを思い出す。
「でもお前主役の器じゃねえよな」
の容赦ない言葉にも、滝川は素直に頷いた。
その滝川の様子には破顔する。
「名脇役にはなれそうかなーと、思ってんだよ」
「そりゃイイ」
の腕が滝川の頭に伸び、グシャグシャと髪を掻き混ぜる。
それをくすぐったいような気持ちで受け止めて滝川は大きく息を吸った。
「とりあえず、今日は速水の所で寝るわ」
「ああ、そうしな。んで頑張れ。ご褒美に特別仕様で整備してやらぁ」
「重装甲は勘弁だぜー?」
そして売店のあるロビーに着いた時、の背中でブータは満足そうにンゲーと鳴いた。