偶に見上げた空。見上げる月は紅く。
それはアノヒトの髪の色に似ている。
月は人を狂わせる。
それが本当なら、アノヒトに狂わされる自分が酷く納得できる気がした。
月に捧ぐ涙
「チッ・・・しつこい血だィ」
血で滑った刀身を冷たい眼で眺め総悟は吐き捨てた。
人の気配も消え失せる深夜、総悟は独り仕事の帰り路を歩く。
人を殺した直後であっても総悟の感情に何の揺らぎもない。
手が血で赤く染まる瞬間にも眼に宿る色はない。
「退屈だ」
呟いた瞬間総悟の耳に微かな音が聞こえた。
その方向に眼をやれば。
「サン」
その姿を見た瞬間総悟の眼に色が戻った。
近付くの姿に、咄嗟に刀を鞘に戻し右手を後ろに隠す。
心臓が大きく動き出した。
闇夜から抜け出すように、近付くほどにの姿は鮮明に光を纏う。月の光を。
逃げ出したい衝動に総悟はじっと耐える。
逢いたくなかった。人の命を奪った夜は、貴方に会いたくはなかった。罪悪感で死にたくなるから。
逢いたかった。人の命を奪った夜は、貴方に会いたい。どんな血で染まってもここに帰りたいと思えるから。
同時に脳に巡る相容れぬ願い。
総悟は思う。
狂っている、と。
「総悟か。変質者かと思ったよ」
目の前で立ち止まりはそう笑う。
総悟はいつものように笑った。
「ここいらにサンに手を出す変質者はいませんぜ。次の日には水死体決定だ」
「俺をなんだと思ってるんだ・・・」
「サンがそうしなくとも同じでさあ。俺が始末しやすぜ」
軽口。それもいつも通り。
隠した右手を握り締める。乾きかけた血が爪の間に入り不愉快な感触に眉を顰める。
「仕事帰りか?」
「ああ、独りの帰り路は退屈で死にそうだィ。」
「送ろうか」
「布団の中まで?」
「やっぱり一人で帰れ」
総悟は薄く笑う。それを見ても笑った。そして。
ふわり。
は総悟の右腕を掴み引いた。
「あ・・!」
総悟は咄嗟に引き戻そうとするが、存外強いの力にそれは叶わなかった。
の視線が右手に注がれる。
総悟は掌を握ったまま無言での伏せた目蓋を見た。白く、月の光に反射している皮膚。
そして自分の右手に視線を移す。
乾ききった血が黒くなり張り付いて、それは自分自身の色だと総悟は思った。
は両手で総悟の右手を包んだ。
驚愕して総悟は眼を見開く。
「・・・触るな」
搾り出すように出した自分の声が震えていることに総悟は動揺する。
触らないで。
この穢れが貴方に及ぶのは何よりも苦しい。
しかしはゆっくりと、固く閉じた総悟の指に触れ掌を開かせる。
開いた掌のどす黒さにもは躊躇わず指を這わせ、絡めて、繋ぐ。
総悟の頬に暖かいものが伝った。
「・・・泣くな」
の声にも、涙は止まらない。まるでどこかが壊れたように、見開いた総悟の目から零れ落ちる。
止まらない涙を総悟自身どうしたものかと考えながら見ていた。
この涙で右手の血が流せてしまえればいいのに。そんな都合のいい事を考える自分の勝手さに笑いが漏れた。
狂っている。
再び思う。
「俺が泣かせたみたいだな、他の目から見ると」
「全くその通りでさあ」
「俺のせいなのか?」
「・・・・ははは」
この笑みもこの涙もこの想いも。
貴方という月に捧げよう。
その光に狂った俺には愛を囁く手段など他にはないから。
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暗い。総悟はちょっと猟奇的な感じが似合うと思うのは誉だけだろうか。
テーマ曲は天野月子様の “蝶”・・・たしかそんなタイトル。