扉の中から出てきたのは眼鏡を掛けた中年の男と、娘らしき幼い少女だった。
長い髪を二つの三つ編みにして、天真爛漫な笑顔を見せる。
つられるようにもぎこちなく笑った。
「わあ!お客様いっぱいだね、お父さん」
「ニーナ、駄目だよ犬は繋いでおかなくちゃ」
親子のやりとりにエドも微笑む。
「・・・君は、絢爛の錬金術師の・・・・」
中年の男、タッカーはを見るなり表情を強張らせた。エドは“何したんだよ・・・”と、を見上げる。
「久し振りだな、綴命。」
は見るからに作り物の笑顔を顔に貼り付けてタッカーに顔を向けた。
そしてエドの上に被さったままの犬を顎で指した。
「この犬の下にいる奴をアンタに紹介しろと、大佐殿の命令でね。アンタの研究を見たいんだとさ」
「・・・彼は?」
「本人に聞け。」
冷たく言い放ちはタッカーから視線を剥がした。義務は果たした、というように。
もはやタッカーには微塵の興味も示さない顔付き。
エドは少しだけ悲しくなった。
もしもあの目を自分に向けられたら。想像するだけで総毛立つ。
(知っているのは、名前だけなのに)
なぜこうも心を囚われるのか。
誰かが昔言った言葉を思い出す。
そして納得する。的を得た名言だ、と。
感情は理屈じゃない。
(ああ、その通りだよちくしょう)
科学者が理屈を放棄するなんてな、とエドは自嘲した。
屋敷の中は散乱していた。
「いや申し訳ない。妻に逃げられてからは家の中もこの有様で」
とエドの前に紅茶の注がれたカップを置きながらタッカーは恥ずかしそうに呟いた。
そして椅子に座り、指を組む。頼りない笑顔をエドに向けた。
「改めて初めましてエドワード君。綴命の錬金術師、ショウ・タッカーです」
エドは小さく会釈をした。
「で、研究内容を見せるのか」
は出された紅茶にも手を付けず面倒そうに尋ねる。
タッカーは苦笑いしながら頷いた。
「構わないよ。ただ、人の手の内を見たいならエドワード君の手の内も見せてもらわないとね。
それが錬金術師というものだろう。・・・何故、生体の練成に興味を?」
それは尤もな言い分だともエドも思った。
エドが上着を脱ぎ、右腕の機械鎧をタッカーに晒す。
その腕が放つ鈍い光には目蓋を閉じた。
エドが己の過去を語る間その目蓋が開く事は無く、皮膚の裏側の闇をただ眺めていた。
「そうか、母親を・・・・辛かったね」
タッカーの言葉にエドは何も返さない。
は薄く笑った。
タッカーの無責任で無神経な言葉が可笑しかった。
(辛かったね?・・・よくそんな簡単に言えるもんだ)
嘲笑う。
しかし言葉には出さず、代わりに言ったのは事務的な事だった。
「分かってるだろうが、鋼に関しては他言無用だ。身体の事もその経緯も。」
ゆっくりと目蓋を持ち上げ告げたの言葉にタッカーは頷く。
「ああ、いいですよ。
軍としてもこれ程の逸材を手放すのは得ではないでしょうから」
「よくお分かりだ」
の相槌にタッカーは下唇を噛む。
勿論はそれを見逃さなかった。
資料室に案内され、自由に見て良いと言われたエドは、さっそくそれらを手に取り読み始めた。
そうなると最後、周りの声や物音は一切遮断される。
「凄い集中力ですね。もう周りの音が聞こえていない」
入り口付近で足を止めたままタッカーは呟く。
「そりゃあの歳で国家錬金術師だからな。」
は素っ気無く答えた。
そして踵を返す。
「用件は以上だ。俺は帰る。」
の台詞に、しかしタッカーはエドから視線を剥がさないまま小さく呟いた。
「いるんですよね、天才ってやつは」
その言葉に含まれた危うさには眉を顰めたが、そのまま再び背を向け、今度こそ屋敷を後にした。
数日後。
雲が唸り、空を覆う。
は喫煙室で煙草を吹かしながら、タッカーに関する資料に目を通していた。
エド達はあれから毎日タッカー宅に通い詰めている。
「・・・・査定が近いな」
呟く。
国家錬金術師に義務付けられた、年一回の研究成果報告。
評価如何によっては資格を剥奪されるというもの。
「去年の評価が低いな。・・・今年が勝負か。」
タッカーは今年の評価が低ければ資格剥奪は免れられない。
あの張り詰めた感じはそれ故か、とは納得する。
そして書類を指で弾き、テーブルの上に滑らせた。
「オイ、乱暴に扱うなよ」
の背後から声がして、そして鍛えられた太い腕がの肩越しから伸びた。
書類を掴む。
「調べたか」
振り返らずは訊く。振り返らなくとも誰かは分かっていた。
ハボックは煙草を取り出し、の隣に並んで火を点けた。
「ああ、二年前に、確かに奥さんが居なくなってるな」
「何処に居る?」
「不明だな。」
煙を大きく吐き出すハボックをは睨み付けた。
「な、なんだよ、ちゃんと探したぞ!?ただ本当に消えたみたいに手掛かりが無いんだよ!」
ハボックは慌てて身構えたが、その台詞を聞いた瞬間は右目を押さえて俯いた。
「・・・?」
その異様な変化にハボックは声を掛けるが、は答えない。
「おい、?どうした」
腕を伸ばし、の肩を掴む。
「・・・・・ああ、いや、少し・・・思い出しただけだ。」
ゆっくりと手を離し、は顔を上げる。
「綴命の所に行くと、ロイに伝えとけ」
そして窓の外、暗い空を見上げた。
間に合わないとは、思っていた。
気付くのが遅かった。
ただ、だからと言って無関心を決め込むほどは無感情でもなかった。
だから、ソレを見た瞬間は身体の中の血が一瞬で凍りついた気がした。