こういう、嫌な方面に関して特に聡い自分の脳ミソが忌々しいとは思う。
暗い屋敷の中を、無機質な靴の音を響かせて歩く。地下へ。
二年前、タッカーは人語を理解する合成獣を作り国家錬金術師になった。
そして同時期に妻が失踪。
昨年の審査は低成績。後が無い。もう引けない。後戻りはできない。
その狂った視界に映るのは。
あの白く大きな犬と。
「・・・・・っ」
幼い少女。
は足を速めることはしなかった。手遅れだと分かっていた。
タッカーは二年前と同様に、今度は娘と飼い犬で合成獣を作っただろう。人語を操る、先進的な発明だとあの男は言うのだろう。
平然と、今度は「妻に娘と犬を連れて行かれたよ」と嘘を吐いて。
過去の記憶がフラッシュバックする。
は拳を壁に叩きつけた。怒鳴り散らしたい衝動を押し込める。
自分が今からしようとしている行為は、ロイにも迷惑をかけるだろう。
わかっている。
「・・・それでも」
それでも。
「終わらせるさ、俺が」
抜き放った二本の刀を拳銃にして、握る。
「終わらせる」
その声は、他の誰にも届くことは無かった。
「この野郎・・・やりやがったなこの野郎!!」
存外近くの部屋の中から聞こえたエドの声に、は顔色一つ変えなかった。
の脳内にはもはや、エドの事を気にかける余裕は無い。
現実を見据えるか、否か。それはエドが生み出す結果では干渉するつもりはなかった。
「二年前はてめえの妻を!!そして今度は娘と犬を使って合成獣を練成しやがった!!」
響くエドの声に隠れるように、はエド達が居る部屋へ足を踏み込んだ。
視界の隅に白い生き物が映る。犬のようで、髪の毛のように長い毛。
そのすぐ隣に立つアルには目もくれずはそれに歩み寄った。
「・・・・・・」
アルの声は、小さすぎてにも届かない。
は跪くように膝を折って、それの頬にそっと触れた。
目を細め頬を寄せるそれに、は目蓋を閉じる。
(ごめんな)
たった一言の懺悔を捧げた。
そして立ち上がる。
「そうだよな、動物実験にも限界があるからな!人間を使えば楽だよなあ、ああ!?」
エドはの存在に、この近さでも気付かないほど怒りに染まっている。タッカーの襟首を掴んで壁に押し付ける。
体格差を感じさせない力強さで。
少し離れた場所で、は銃に弾を込める。
一発で仕留めようか、それとも何発かに分けようか。そんな事を考える。
踏み止まれ、思い出せ。の中の誰かが叫ぶが、には雑音にしか聞こえない。
「は・・・何を怒ることがある?
医学に代表されるように人類の進歩は無数の人体実験の賜物だろう?
君も科学者なら・・・」
「ふざけんな!!こんな事が許されると思ってるのか!?
こんな・・・・人の命を弄ぶような事が!!」
尤もらしい言葉を並べ立てるタッカーを、エドの怒声が遮る。
悲鳴に近いな、とはいやに冷静に思った。
ああ、そうだった。
悲しむのは、その罪の重さを悲しむのは、いつだって罪人ではなく他の優しい誰かだ。
なんという滑稽さ。なんという残酷な世界。
「人の命!?はは!!そう、人の命ね!
鋼の錬金術師!!君のその手足と弟!それも君が言う“人の命を弄んだ”結果だろう!?」
その言葉が発せられた瞬間、エドはタッカーを殴りつけた。
は銃の安全装置を外す。
右目が疼き、掌で押さえ俯く。
エドに掴まれたままタッカーは薄く笑ってエドを見た。
「同じだよ、君も私も!」
「違う!!」
「違わないさ!目の前に可能性があったから試した!!」
「違う!!」
「たとえそれが禁忌だと知っていても試さずにはいられなかった!!」
「違う!!」
エドが再びタッカーを殴る。繰り返し何度も。
「違う、オレ達錬金術師はこんな・・・・オレは・・・!!」
そして大きく振り上げられたエドの腕を。
「・・・・・・・・・・?」
の冷たい掌が止めた。
そして響く銃声。
銃弾はタッカーの頬を掠め、壁を穿った。
「なあ、それがあんたの見た真理か?」
無造作に下ろした腕のその先に銃を携え、は問う。
いやに冷たい、いっそ場違いなその声音にエドは呆然とを見上げた。
「教えろよ。この俺が納得できるようにさ」
答えを求めながら、それでも答えれば殺されると思わせる声。
これは誰だ、とエドは思った。
コレハダレダ?
「いっそ殺してくれと泣き叫ぶ程の苦痛と闇をアンタに見せてやりたいと思う俺がおかしいのか?
なあ、答えろよタッカー」
世間話でもするかの様な口調。軽い足取りでエドを背で隠す。
の全身から滲む殺気は全てタッカーに注がれてはいたが、傍に居るエドとアルにもそれは飛び火し背中に寒さが走る。
それほどの純粋な怒りがから放たれていた。
タッカーはすでにその恐怖から全身の力を失い声も出ない。
「可笑しいよな、本当。何でテメーは生きてんのかな。
もっと、大事なモンは簡単に壊れんのにさ。可笑しいだろ?ショウ・タッカー。
信じられねえよ、実際・・・」
止めなくては、とエドは思った。
けれど体が動かない。動けない。自分も、アルも。
他人のここまでの怒りを目の当たりにしたのは初めてだった。
はタッカーを殺す。そう簡単に信じ切れてしまえるほどこの空気は深く堕ちている。
闇に。
「お前のおかげで思い出したよ。思い出すよ、俺は、結局殺すことに何も感じないってさ。
殺すに値すると知れば感じる必要も無いか。・・・ああ、俺としたことが本当に忘れかけてた。」
は心底可笑しそうに肩を震わせて笑う。どこか狂気染みているその光景に、エドは体の震えを感じた。
「最近はずっと楽しかったから、世界は優しいと思い始めてた。馬鹿だな」
の手に握られた銃が、ヒタリとタッカーの眉間に当てられた。
引き金に指が掛けられる。
その向こうに見える、至極冷たく燃える、青。
「やめ、ろ・・・」
エドは掠れる声を絞り出した。
震える膝を、押さえる。
駄目だ。ただそれだけをエドは脳内で繰り返す。
(駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。止めなくちゃ、殺してしまう。駄目だ、それだけは)
が戻れなくなる。
しかしはゆっくりと口で弧を描き、タッカーを見据えたまま引き金を引く指に力を込めた。
「馬鹿だったよ。そうだろ?世界が優しいなら、何故お前が生まれ、今生きてる?
・・・・なら俺が俺の手で終わらせてやるさ。その間違いをさ」
「やめろ、」
「さようなら、タッカー」
「やめろ!!!!!」
ビクリと。
の腕が震えた。大きく。
「」
エドの声にはその青い双眸をゆっくりと移し、酷く悲しげに細めて腕を下ろした。