青。
それは悲しい色をしていた。
その色を見た瞬間、悲しみは空気を伝いこの胸に侵入する。
「鋼、泣くな」
銃をしまったが呟く。
乱暴にオレの頭を撫でる。
違う。だってこの悲しみはオレのじゃないから。
これはの悲しみだから。
泣いているのは、だ。
「泣くなよ」
そっと見上げたの横顔は綺麗で。
青い目が濡れているように見えた。
降りだした雨の匂いが鼻の奥を柔らかく刺激する。
司令部の建物の前にある大きな階段のその真ん中で、エドは雨に打たれながら体を小さくして座り込んでいた。
その少し後ろにアルも腰を下ろし無言で寄り添う。
エドは服を握り締め、腕に額を押し付けて俯いた。
「これしき・・・か」
エドは先程ロイに告げられた言葉を反芻する。
己で選んだ業の道ならば、これしきの事で立ち止まる暇は無いだろう、と。
けれど。
あの少女の命を救う事はできなかったのか。エドは自分にそう問いかける。
ほんの些細な行動で、言葉で、存在で。今の全てを変える事だってできたかもしれない。
あの小さな少女は笑っていられたかもしれない。
「・・・・・っ」
エドが負う罪ではないと、エド自身が知っていた。それでも繰り返す懺悔は、少女に届く事は無い。
「ごめん、ニーナ」
ただ雨の音だけが周囲を支配していた。
はロイの執務室でソファーに身を沈めていた。
会話は無い。
は右目に手を添えて天井を睨むように眺めていた。そうして呼吸を整える。
体の中にあるドロドロとした黒い感情を少しでも吐き出せればいいと思いながら。
「髪くらいは拭いたらどうかね。風邪を引く」
呆れたように言いながら、ロイは大きめの白いタオルをに被せた。
そして目の前に淹れたての温かいコーヒーを置く。
はタオルを頭に乗せたまま動かない。
目蓋を閉じて、ある情景を思い出していた。
自分の腕を止めた、エドのあの表情。恐怖と、悲しみの色。
「・・・・・・大丈夫かもしれないって、思ってた」
がポツリと零した言葉にロイは動きを止め、を見詰める。
の表情はタオルに隠れて見えない。
しかし微かに唇が震えているのをロイは目聡く見つけ、溜め息を吐いた。
泣く事も叫ぶ事もせず悲しむのはの悪い癖だとロイは思う。
逃げ道が無い。捌け口も無い。
悲しみは降り積もり、消えることも癒えることもなくを縛り続ける。
「泣きなさい」
ロイは憮然として告げた。
何のために私が腕を広げていると思っているんだ、と怒鳴りたい気持ちを押し留めて。
しかしは口元でゆるく微笑んで首を振る。
「泣けるか、馬鹿」
ロイは下唇を噛み締めて大股でに近付き、乱暴にの頭を自分に引き寄せた。
包み込み、何からも隠すように抱き締める。
暫らくして、そっと戸惑いながらもの腕がロイの背に回された。
それがまるでロイを慰めるための仕草のようで。
「・・・・っ」
悔しさと悲しさをロイは感じながら、それでもを抱く力を弱める事はなかった。
雨の日は古傷が疼く。
一度目が覚めたエドはなかなか寝付けずにいた。ベッドの上で窓の外を眺める。
アルとは違う部屋で良かった、とボンヤリ考えながら。
夜になると雨は激しさを増し雷も鳴り始めた。
閃光と轟音が交互にやってきてはエドの気分を降下させる。
「・・・・っ」
左足に鈍い痛みが走り、エドは泣きたくなりながら俯いた。
雨の度に繰り返し視る悪夢に、噴出した汗が冷たく身を包む。
その時、部屋の扉を叩く小さな音がした。
「・・・・・誰」
届くか届かないかの小さな声でエドが呟くが、返答はない。
仕方無しにエドはベッドから降り、扉に近付いた。
「誰」
再び問う。扉の向こうで微かに戸惑う気配。
理由のない苛立ちがエドを襲う。
無視をしてベッドに戻ろうか、とエドが踵を返した時扉の向こうの人物は小さな声で告げた。
「俺だ」
「・・・・っ、!?」
エドは反射的に再び扉に向き、ノブに手を掛ける。しかし扉は開かなかった。
がノブを押さえているのだと気付いてエドは眉を顰める。
顔が見たい。エドは衝動的にそう思い、扉を叩いた。
「何で押さえてんだよ!」
「いや、すぐに帰るからこのままで良いだろ」
「・・・っ、何で・・・・」
意地悪だ、とエドは思った。普段は遠慮もなにもないくせに、どうして。
「・・・礼を言おうと思ってさ」
が呟く。エドは更に眉間の皴を深くした。
「・・・礼?」
「・・・・ああ、だから、そういうの慣れてねえし。このままな」
「・・・・・」
エドはノブから手を離した。いつもより弱ったようなの声音に、その場に座り込む。
狡い、とだけ小さく零すと扉の向こうでが笑った。
扉を挟んで背中合わせに二人は座った。
木製の扉がお互いの体温を伝えているのか、背中が温かい。
「・・・止めてくれて助かった、鋼。危うく軍法会議モンだ」
「別に、そんなつもりで・・・」
前置きなく告げたの言葉にエドは顔を俯かせた。
あの時そんな考えは確かにエドにはなく、漠然とした思いだけで取った行動。
上手く説明はできないが、ただ本能的に思ったのだ。
“駄目だ”、と。
「・・・・そうかもな。でも、助かった」
「・・・・?」
戻れなくなるところだった。過去の自分がそうだったように。
はヒッソリと思い目蓋を閉じる。
「全然、変われてねえな・・・俺は」
溜め息のような呟きはエドに届き、エドは振り返った。扉が邪魔での姿が見えない。
「大丈夫かもしれないって、思ったんだけど。・・・自惚れだったな」
「?」
「怖かっただろ、俺が。・・・悪かったな」
結局自分はそういう人間なんだ、とは思う。
改革を、進化を、変貌を望んでもそれは儚い夢で。
「お前と関わるのは、楽しかった。アリガトな」
「何、言って・・・・」
エドは声が震えているのも自覚しないまま、ひたりと扉に手を添えた。
の言葉が上手く飲み込めない。
衣擦れの音が聞こえて、が立ち上がったのだと分かった。
それに合わせてエドの視線も上がる。障害物をものともせず視線は繋がった気がした。
「・・・線があんだよ、鋼。俺と、お前達には。
俺にはこれ以上、関わる勇気もそれだけの価値も無い」
エドは瞬間勢いよく立ち上がった。
「そんなの勝手に決めるな!オレは・・・!!」
再びノブに手を掛ける。しかしやはりが邪魔をしてノブは回らない。
「・・・そうかもな、価値は・・・卑怯な言い方だけど。勇気は本当に無いんだ」
「・・・・ッ!!!!」
堪らずエドは叫んだ。このままでは決定的な断絶を告げられる気がして。
「・・・大丈夫かもしれないと、思った。俺は変われたんだって、思い込んでた。
まだその線を視界に捉えてすらいなかったのにな。」
「違う・・・!」
エドは再び叫ぶ。根拠なんてどうでも良く、ただの言葉を頭から否定する。そうしなければならないと思っていた。
認めたら駄目だ、と。
暫らくの沈黙の後、は大きく息を吐いた。そして扉に掌を添える。
それは丁度エドの手に重なる位置だった。
お互いに気付かない小さな奇跡。
「・・・・・ありがとう」
は小さく言った。その言葉にエドは目を見開く。
優しく流れるの声音に目蓋が震えた。
「でも良いんだ。お前が気にするな。
・・・・これは俺が負う罪だ」
もう一度、違うとエドは叫びたかった。の声を掻き消したかった。
なのに喉が枯れたように声を出さない。
ドンッと、扉を叩いて俯いた。
「・・・、オレは・・・っアンタが・・・!」
「言うなよ、鋼」
好きなんだ。
そうエドが続ける前にの冷たい言葉が告げられ。
呆然と扉の前に佇むエドをおいて、は去っていった。