大声で笑う事さえ、本当はずっと怖かった。
突然誰かに指をさされ
「お前は幸せになる価値なんてない」と言われそうで。
判ってる。
判ってるさ。
雨の闇の中を、はゆっくりと歩く。
俯く事はしなかった。
前を見据え、睫毛から雫が滴るのを眺める。
(・・・・リィナ)
愛しい名を呟いては目蓋を閉じた。
噎せ返るような血の匂いが、甦る。
薄く目蓋を開き、は自分の右の掌を持ち上げた。
そしてビクリと大きく身体を震わせ足を止める。
掌に染み付いた、赤い色。
「・・・・・・っ」
しかしそれは一瞬で消え失せ、視界に残るのはただ濡れた掌だった。
変われたと思っていた。
ヒューズに出逢い、ロイと出逢い、東方司令部に来てあらゆる人の優しさを知って、あの眩しい兄弟に出逢って。
自分の中に巣食う黒い感情は少しづつ払拭されて、自分は、彼等の傍に居ても良いのだと。
思い上がっていた。
「結局、あの時から何も動いてないってわけか」
は自嘲して小さく微笑む。
今自分が立つ場所は、不相応に優しすぎる。
消えてしまいたいと思った。
「泣いてんの?」
雨音に遮られる事なく響いたその声には顔を上に向けた。
そしてあからさまに不愉快そうに眉を顰め、舌打ちをする。
「何の用だ・・・・今は、お前に構う余裕はねえよ」
「みたいだね」
漆黒の闇に溶ける声の主は、音も立てずの前に降り立った。
黒の髪。双眸。
浮き立つ白磁の肌。
「消えろ、エンヴィー」
「ヤダね。弱ってるなんて貴重だし?」
「・・・・殺すぞ」
言っては練成したままだった銃を懐から取り出した。
真横に構えてエンヴィーに突きつける。
「ああ、ダメダメ。できもしない事言って銃を向けるなんて三流以下だよ」
「できもしない?」
はクツリと笑った。
じゃあどうして俺のこの手は血で染まってるんだ、と、怒鳴りつけようかと思った。
だがそうできないのは。
銃を握ったその手が、微かに。
震えているからだ。
「そう。だって今のにはできないだろ?」
確信してエンヴィーは囁き、の肩に両腕を乗せて顔を覗きこむ。
構えられたままの銃に頬を寄せた。
「・・・・震えてる。可愛い、」
「・・・・っ!!離れろ、・・・・!!」
「遅いよ」
乱暴に振ったの腕をエンヴィーはいとも簡単に封じ、の身体を壁に叩きつける。
そして足と腕を絡ませて密着し、完全に逃げ道を奪った。
ガシャンと銃が地面に落ちる。
濡れて固まったの前髪を片手で弄び、エンヴィーはニッと笑う。
その表情はまるで下心も何も無い子供の顔で、は眉を顰めた。
「タッカーを殺せば、もう少しは楽だったんじゃないの?
諦めもついたんじゃない?・・・どうして引き金を引かなかったのさ」
「・・・・覗きか、悪趣味野郎・・・っ」
「答えてよ」
「っ・・・!」
ギリッと、の腕にエンヴィーの爪が食い込む。
は表情を歪めてエンヴィーから顔を背けた。
「・・・・アイツが、止めたんだ」
「ああ、あのオチビさん?」
あの金の色が。
あの眼差しが。
あの声が。
止めてくれた。
「・・・ふうん。ナンかムカつく」
エンヴィーは一変して表情を険しくして、の喉元に噛み付いた。
歯が皮膚に引っかかり、小さな赤い痕をつける。
「何してんだ」
「うーん・・・マーキング?」
赤くなった皮膚をペロリと舐め上げると、は心底嫌そうに顔を歪めた。
けれどもう、泣いているような顔じゃない。
そんな安堵をオレが感じているなんてきっとは気付いてないだろうけど、とエンヴィーはひっそり想う。
気付かなくて良い。
表立って叫べない想いだから。
「犬かお前」
「だったら可愛がってくれる?」
「犬は嫌いだ」
あ、そ、と。
エンヴィーは珍しく簡単にを手放し距離をとった。
そして降り続ける雨に視界を凝らす。
「オレはさあー、オレはが好きだから、の罪なんかどうでも良いよ。」
簡単に言い放ったエンヴィーに、は弾かれるように顔を上げる。
繋がった視線に眩暈を感じた。
翌日、が東方司令部に顔を出したのは、珍しく早朝。
手には一枚の紙が握られている。
ロイの執務室の前では足を止めた。
深い呼吸。一度だけの。
そして片腕を上げ、ノックをしようとしたその瞬間に扉が内側から開きロイが血相を変えて出てきた。
「・・・。今日は休んでも良いと・・・・」
驚いたように見下ろすロイには手に持っていた紙を背後に隠し平然と笑って見せた。
の表情にロイは眉間に皴を寄せる。
「何かあったのか」
が問うと、一瞬の間を置いてロイは頷く。
そして重い口を開いた。
「ショウ・タッカーと娘が、何者かに殺された」
「・・・・・・・・・そうか」
の群青の眼が、ゆらりと動き。
いまだ暗く轟く空を見上げた。
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暗いー・・・。