悔しいとか、悲しいとか。
そういう感情はには生まれなかった。
タッカーは死んで当然だと思っていたし(いっそこの手で殺そうかと思ったくらいだ)、
ニーナやあの犬は、死なせてやった方が優しいのではないかと思っていた。
彼女の母親が死を望んだ、あの域に達する前に。
死にたいと、望む前に。
「・・・・それは俺のエゴだろう」
誰からも下されない裁きを己で下す。
そしてどうして自分の周りの人間は優しい連中ばかりなんだろう、と、は自嘲した。
(・・・・それは俺のエゴだろう)
ああその通り。
神よ。
世の全てを創りたもうた偉大なる我らが神よ。
その広き懐に憐れな魂を迎え入れ、安息と救いを与え給え。
けれど大きな罪を犯した俺は、片目を失っただけ。
神様とやらは俺に言ったのだろう。
残った目でこれからを全て見据え苦しみなさい。
死は解放。生きろ。
それが罰です。と。
神の元に逝くことすら赦されない俺は何処まで堕ちれば果てが見えるのだろう。
降り注ぐ雨は何の浄化ももたらさない。
「一緒に来ないのかね。・・・ヒューズも、来ている」
ロイの言葉には目を逸らすだけだった。
その明らかな拒否にロイは眉を顰めた。
手を伸ばし、の腕を掴もうとしてもヒラリとかわされる。
の表情は冷たく、感情と共に体中の血液も凍りついているんじゃないかと疑いたくなる程で。
それは出会った頃のを彷彿とさせた。
「」
ロイはの名を呼んだ。どうにかして己の胸に巣食う不安を拭い去りたかった。
けれどの視線は返される事無く空を移ろい、そしてはゆっくりと呟いた。
「・・・・気にするな」
断絶の言葉に行き場を失った掌。
それを握り締めてロイはに背を向けた。
声を掛けられる気配はない。自分の足が動きから離れても、が止めることは無い。
ロイは足早に歩きながら窓に移った自分の顔を一瞬視界に納め、逸らす。
(なんて顔をしている)
叱咤するが、そんなものは何の効果も発揮しなかった。
明らかな断絶に心臓が軋む。耐えろと脳が命令する。
諦める事だけはしない。そう誓ってロイは強く前を見据えた。
遠ざかるロイの背中を横目で見やって、は溜め息を吐いた。
口を開けば誰かを傷つけている気がした。いっそこの口も・・・
いや、声帯ごと持っていかれれば良かったのかもしれないとは思って、その自虐加減に辟易した。
自分は独りが似合う。それが自然だとつくづく思う。
今までが不自然だったのだ。分不相応だった。
泣きたくなるほど。
執務室に入り、隠していた紙をロイの机にそっと置いた。
そして何の感慨も無く手を離す。
ついでの様に机の上に散乱していた書類に視線を流し、読み取った。
ほんの数秒。その瞬く間に、膨大な量の情報を頭に叩き入れる。
脳内に流れる文字、数字、記号。
そして再び扉に向かい、ノブに手を掛けた。
脳内で再生される情報の中に、鮮明に浮いた名を呟く。
「スカー、か」
落とした声は雨音に飲まれ、他の何にも届かずに消えた。
場所は変わり、リオールの街。
「えらくご機嫌ね、エンヴィー」
黒の衣服を身に纏った妖艶な女・ラストが、同じく黒い衣服に身を包んだエンヴィーに声を掛ける。
「そりゃあね。」
の姿を思い出し、エンヴィーはクツクツと笑った。
そして眼下の街人に目を向ける。
愚かなニンゲン。
コーネロに化けて、ちょっと操作してやっただけでこんなにも面白く殺し合ってくれる。
なんと清々しいんだろう。
エンヴィーは楽しくてたまらなかった。馬鹿な子ほど可愛いというのは正解だと更に笑う。
エドとアル、そしてがこの街を去った後、死んだはずのコーネロが舞い戻った。
そして街人は容易く洗脳され、街は無法地帯・・・いや、戦場と化したのだ。
エンヴィー達の狙い通りに。
「イーストシティにスカーが現れたらしいわよ?ショウ・タッカーが殺されたわ」
「スカーって、ああ、あの国家錬金術師殺しまわってる奴?」
返事をしながらに会いたいなあーなんてエンヴィーは考えていた。
こんな所よりの傍がずっと心地良い。
冷たいし優しくないし素っ気ないけど、スキってのはそういうモンだし、と自分で納得する。
もしかしたら戦いとか殺し合いとか血とか全部投げ出しても自分はを選ぶかもしれないと思った。
そう思ったら少しだけ悲しくなって、エンヴィーは笑うのをやめた。
「ええ、予定外の事されると困るのよね。
あそこには焔の錬金術師と、鋼の錬金術師も居るわけだし」
ラストは仕方ない、といった風に肩を竦めた。その様子にエンヴィーは表面だけで笑う。
一瞬だけ普通の女に見えたからだった。
「何笑ってんのよ。・・・ここはあらかたカタがついたし私とグラトニーでそっちは見ておくわ。」
エンヴィーはその瞬間ラストを睨みつけた。
が今出た二人と居るのはラストも知っている。
気の弱い者なら一瞬で心臓を打ち抜かれる視線にラストは溜め息を吐いた。
「アンタのお気に入りには手は出さないわよ。」
必要にならない限り。
そこまで考えて、ラストはと合間見えた瞬間を思い出し寒気を感じた。
必要にならない限り二度と会いたくないと思い、ついでにエンヴィーの趣味の悪さを嘲笑った。
ラストの言葉と表情をエンヴィーは暫らく睨み続けたが、そのうちにフ、と視線を緩めて笑った。
雨の中、は傘を差さずに歩いていた。
顔に張り付く長い前髪が多少鬱陶しいが、さして問題は無い。
探しているのは連続国家錬金術師殺人犯のスカーという男。
は意識を張り巡らして歩く。
どうせエドはロイと同じようにタッカーの家に行っている。会う危険性もない。
はそう考えて、いいや違うなと思った。
危険性じゃない。そうじゃない。あんなにお人好しで純粋な彼らに失礼だと思った。
可能性だ。そう考えてはクツリと笑う。
アイツ等に関わればこんな些細な単語すらも
何だか希望が含まれたものになるな、と思い可笑しかった。
そして。
もしいつか生まれ変われるなら自分もそういう人間になろうと誓った。