「あたしに何か用かい?坊や」


その女はゆっくりと足を止めた。はそれに合わせ距離を保って自分も足を止める。
「ああ、ちょっと忠告をな」
腰に手を当ては女に笑ってみせる。温度を含まない笑みで。それを女は振り向きながら見て、同様に笑みを浮かべた。

「忠告?」
「・・・お前人間じゃないな?」

の言葉に刹那女の瞳孔が開いた。指を錐のように伸ばしを襲う。貫いた、筈だった。少なくとも一瞬は、女はそう確信した。しかし。

女の喉に、背後から剣が添えられていた。いつの間に背後を取られ、剣を抜いたのか。

女には全く見えなかった。こうまで実力差があればいくら女が数度死ぬことを許された身であれ関係ない。
殺される、と直感する。

しかしは一向に女の首を切り落とそうとはしない。隙が有る訳ではないため女にとっては生殺しである。汗が、女の額を伝った。


「ふ・・・ビビんなよ。結局そこはどーでもいいんだ。もっと落ち着いて話し聞こうぜ、オネーサン?」
「どういうことかしら?」
女は平静を装い冷たく言い放つ。精神さえも侵食されては本当にお終いだと本能が告げるのだ。
「いいねえ。美人も気の強い女も好みだ。・・・・髪も、いい香りだし。文句ねえ。
とどのつまりオレは別に今すぐどうこうしようってんじゃない。邪魔もしない。ただ」


それまでのの口調はまるで世間話でもするかのような明るいものだった。
しかし一瞬でそれは消える。代りに体液まで凍りつく錯覚を起こすほどの殺気が周囲に充満した。指先一つさえ動かせない。
「オレの邪魔や、俺の気に喰わない真似はするなよハニー。わかったか?」
女は、上手く呼吸すら出来ないで小さく頷いた。たとえ嘘になっても、恐怖でそうするしかできなかった。は満足したのか女の喉から剣を離し、鞘に収めた。
「いい子だ」
そう聞こえ、殺気が消えたのを感じて振り向くと。
そこには居なかった。

圧倒的力の差が生む恐怖。初めて味わったそれに女はただ立ち竦んでいた。











アルにコーネロという教祖サマを知っているかと聞かれては知らないと言った。
しかし知らない筈が無い。任務対象の事前調査など当たり前だ。

曰く、生きる者には不滅の魂を
死せる者には復活を

は思い出し拳を握る。
手の内に爪が食い込むほど強く。

町を見渡せるよう建物の屋根に立ち周囲を見渡す。そしてある一点で、止まる。

視界に捕らえるのはコーネロ率いるレト教の教会。
いまだ流れ続けるラジオ放送には舌打ちをして屋根から飛び降りた。


『祈り信じよ。さすれば汝の願い成就せり』



その言葉を最後にコーネロの声は止まった。放送が終わったのだ。
は笑う。

心の底からの、怒りと侮蔑を込めて。
その動作の一連で隠した右目を手で覆う。口元の笑みは貼り付けたままで。


の脳内に繰り返される鮮明な記憶。
忌々しい、と、は思う。


忘れることは許されないが、それでも奥底に隠しておきたいこの記憶はほんの些細な切っ掛けで浮上する。
にとって耐え難い苦痛を付属させて。



「よォし、決定。どういう宗教だろうが潰す。」

理由は、気に喰わない。
自身が動くのに十分な理由。

上への報告などどうにでも操作できる。にやりと笑っては教会へと向かった。











エドとアルはレト協の協会に来ていた。飾られた神像に一番近い椅子に座り、見上げる。

「さっきの話、どう思う?兄さん」

「死せる者に復活を・・・か?胡散臭いな」

エドはつまらなさそうに神像を見上げたまま呟く。
少し考えてアルはエドに向き直る。

「けど、兄さん」
「ああ、怪しいぜ」

が消えた後、二人はロゼという少女に出会った。
エドたちの周りを囲んでいた町人の話によれば、ロゼは身寄りも無く去年には恋人も事故で亡くしている。
しかしレト教に出会い、元気を取り戻したという。

少しでも想像力がある人間なら分かることだ。死せる者には復活を、と謳う教主がロゼに何を言ったか。
エドは足を組みなおし眉間に寄せた皴を深くする。

「・・・もしかしたら」


もしかしたら。その予想というよりも期待に近い感情にエドは逸る気持ちを落ち着かせる。
探し物が、求めてるものが近いかもしれない。
考えるだけで体が震える。それはアルも同様だ。


その時、近くの扉が音を立てて開いた。音は反響し木霊する。

「あら、貴方達は確かさっきの・・・」
現れたのは噂をすれば、のロゼという少女。エドは視線をちらりと向けただけで挨拶もしなかった。


気分を害した様子も無くロゼはエドとアルに近付いた。

「レト教に興味がおありで?」
「いや、あいにく無宗教でね」

ロゼの言葉にもエドは視線を合わさず返す。
「いけませんよ、そんな!神を信じ敬うことで日々感謝と希望に生きる・・・なんと素晴らしい事でしょう!」
エドは背凭れに体を預け始めてロゼを見た。
「・・・ったく、よくそんな真正直に信じられるもんだな」
嫌味なのか感心しているのか判断できない声音でエドは言う。

「神に祈れば死んだ者も生き返る・・・か?」

頭の中で打ち出した予想をぶつける。ほぼ確信はしているが。
少し間を置いてロゼは目を閉じ深く頷いた。それに迷いは見えない。

「ええ、必ず・・・!」


エドは溜め息をつき懐から一冊の分厚い手帳を取り出した。それを捲り、口を開けた瞬間。







「ああ、本当におめでたくできた脳ミソだ。俺のと交換して欲しい位だぜ、全く」




広い教会に、凛とした声が響いた。
エドとアルは驚いて背後を振り返る。ロゼも二人の視線を追った。



立っていたのは、エドとアルの脳裏を過ぎった人物の姿そのもの。、だった。
薄暗い教会の闇に溶けるような漆黒の服を纏い同色の布で顔の半分近くを隠したの姿は、
色の白い肌と鳶色の髪だけが光を反射して浮き立っている。

幻想的といえるその姿にエド達は言葉を失った。

その様子に構わずはエド達に歩み寄り、神像を見上げる。
エド達からは隠された右側の顔しか見えず表情が伺えない。

ただ口元が弧を描いているのだけは分かった。
「・・・?」
エドが小さく呼ぶ。しかしは反応を見せない。ただじっと神像を見上げ、笑っている。



「カミサマ、か」



暫らくしては呟き視線をロゼに移した。
深い青の目が鈍く光り、ロゼは言いようのない恐怖を一瞬感じ後ろへ数歩下がった。

その様子を見てはフッと笑う。


「神様が本当に居るってんなら俺は殺してやりたいがな。何が楽しくてこんな世界を作った」

もしも本当に神が居るなら掲げるべきものは理想郷ではないのか?無条件の救いではないのか。そう、は思う。

「悪趣味にもほどがある」

は吐き捨てるように言葉を続ける。
既にの視線は神像へと戻っていた。

(・・・なん、だ?)

ここにきてエドはやっと気付く。
を包む空気が異常に冷たい事に。

駄目だ!


エドは直感でそう思い、わざと大きな音を立てて立ち上がった。

今のこの空気を変えなくては。切っ掛けなど何でも良いから。たとえば、そう。自分の声でいいから。

理由は分からなくともそうするべきだと本能がエドを動かし、エドはそれに従った。
捲ったままだった手帳に目を落としエドは声を絞り出す。


空気に飲まれそうになる体を、声を、奮い立たせて。



「水35リットル、炭素20キログラム、アンモニア4リットル・・・」

エドは手帳を持ち上げ見上げながら皇かに言葉を連ねる。
ロゼは訳が分からないといった風で聞いているが、はゆっくりと顔をエドへ向けた。
前髪から覗く左目にはもうあの危険な光は無い。
興味深そうにエドを見るその視線を、エドは視界の隅で確認して内心安堵する。


得体の知れない危うさが、に潜んでいる。
エドはそう感じた。
同時に放っておけないと思うのは、エドが自覚無しのお人好しだからだ。


「なんですか、イキナリ・・・」

一般人は聞きなれない単語の羅列に、ロゼは眉を顰める。
「大人1人分として計算した場合の人体の構成成分だ。
今の科学ではここまで分かっているのに実際に人体練成に成功した例は報告されていない。」
エドはまるで自分に確認させるように呟く。
忘れてはならない、と。

禁忌を。


「“足りない何か”が何なのか・・・何百年も前から科学者達が研究を重ねてきて、
それでも未だに解明できていない。不毛な努力って言われてるけど、ただ祈って待ち続けるより
そっちの方がかなり有意義だと思うけどね」


手帳を閉じ、手帳を懐に戻してエドはゆっくりと瞬きをし、を見る。
はエドを見詰めて笑っている。

その表情は、“もう大丈夫。”・・・そう言っているように見えた。


「ちなみにこの成分材料な、市場に行けば子供の小遣いで全部買えちまうぞ。人間てのはお安くできてんな」
軽い口調でエドが言うとロゼはさすがに顔色を変えてエドを睨んだ。


「人は物じゃありません!!創造主への冒涜です!!天罰が下りますよ!!」
「あはははは!」
息も荒く怒鳴ったロゼに対し、エドは大きく笑う。も薄く笑みを浮かべたままだ。余計にロゼの怒りを煽る。


「錬金術師ってのは科学者だからな。創造主とか神様とか曖昧なものは信じちゃいないのさ」

「そ、全ての探求、真理の追究。神を信じないが故に神に近い、皮肉な存在だ」
エドの言葉には軽く頷き口を開いた。
その言葉にエドとアルは驚き立ち上がる。

はニヤリと笑い、剣で隠れた腰の部分から銀に輝く時計を取り出す。
エドは驚愕で目を見開いた。

、それ・・・・!」
「国家錬金術師の、銀時計・・・!」


驚くエドとアルを至極楽しそうに見ては腰に手を当て極上の笑みを見せた。






「改めまして、お会いできて光栄だぜ、鋼の錬金術師。


俺の名は。絢爛の錬金術師だ」





壮絶なほど美しい微笑みに三人は四肢の自由を奪われる。
構わずは透き通る声音で続けた。




「会えたら聞きたい事があったんだ、鋼。
太陽に近付きすぎた英雄は蝋で固めた翼をもがれ地に堕とされる。


・・・じやあ罪人は。翼のない罪人は何を奪われ何処へ堕ちるんだろうな」







そう問うたの深い青の目は


エドには、泣いているように見えた。