は淡々と、けれどどこか張り詰めたものを感じさせながら語り始めた。
エドは自分が踏み込んだ事の、その大きさを少しづつ肌で感じ背中に寒気を感じる。
けれどの言葉を遮る気にはなれなかった。
「・・・俺には、妹が居たんだ。リィナっていって、小さくて、可愛くて。
絵本の中のお姫様みたいでさ。大切だった。大事だったよ」
あいしてた。
鮮明に甦る過去の光景を前に、まるで懺悔をするようには目蓋を閉じる。
「綺麗な金髪で、丁度、お前みたいな髪だったな。」
その言葉にエドは思い出す。いつも自分を見るの視線が、自分の髪を掠めていた事を。
オレを見ていたんじゃない。オレを通して妹を見てたのか。
少しだけ悲しかったけれど、どこかでのその時の目の優しさに納得する。
「住んでたのは閉鎖的な小さい村で、俺は親を早くに亡くしてリィナと二人で暮らしてた。
本当にその頃の俺にはアイツだけだった。
世界の全てだった。それを不満に思ったりも疑問を感じたりもしなくて、幸せだった。」
は閉じていた目蓋をゆっくりと持ち上げ、窓の外に向ける。
雨は降り止まず、身体に湿気を含ませる。
はコッソリと自嘲した。自分は何を話しているのだろう。こんなガキ相手に。
けれど一度吐き出した言葉は止まらなかった。
「稼ぎが欲しくて、リィナに不自由させたくなくて錬金術師になったんだ。
反対する村の連中を押し切って村を出て、外に行って勉強してさ。
国家に属さなくてもそれだけで暮らしていけるだけの金は稼げる。
そんな程度で、俺はリィナを守ってる気になってた。守れると思い込んでたよ。
それまで望みどおりにいかない事なんてなかったから。
・・・だから、リィナが病気になった時も、絶対に治るって無条件で信じてた。
俺が幸せにしてやれる、そうする力が自分にはあるんだって・・・思ってた。」
けれど実際は、現実は違った。は過去の自分の傲慢さに笑いがこみ上げる。
神の救済なんて無いと、幼いながらにこの時は理解したのだ。
「でも現実は厳しいモンだよな。・・・どんどん、弱っていくのが分かったよ。
毎日少しづつ痩せていくんだ。それって結構キツイんだぜ。
自分が健康だったら尚更だ。」
「医者は・・・?」
「・・・いいや」
勿論は村人に掛け合った。
医者を呼ばせてくれ、村医者じゃ役に立たないから、と。
しかし村人はを突き放した。
閉鎖的な村にとって外部からの訪問は禁忌とされていたし、
外に一度でも出たは災厄をもたらすと考えられていた。
村の男が冷たく言い放つ。
“お前が外から持ち込んだ厄じゃないのか、その病気も”
村の女が言い捨てる。
“ちょっと近寄らないでよ。私まで病気にされちゃあ堪らないわ”
その頃には、リィナはベッドから出ることもできなくなった。
大きな病院に抱えて連れて行くにはリィナの体力が持たないと、の素人目にも分かった。
ああそこからは地獄だったな、とは思い出す。
「ベッドの中で小さく息して、手も動かなくて。じっと目を瞑って耐えている。
・・・さすがの俺も気付いたよ。ああ、こいつは死ぬんだなってさ」
結局自分は途方もなく弱い、と、は思う。
きっとリィナはとうの昔に自分の死を知っていた。
それでも耐えたのは、受け入れられなかったからだ。
俺が、リィナの死を。
傍に居ながら突き放し、孤独にしていたのだ。
「じっと見てるしかできなかったんだ。弱ってくリィナに、“大丈夫”だなんて無責任に繰り返してさ。
・・・夜、眠れないんだぜ?この俺がさ。
起きたら、一瞬でも目を離したら死んじまうんじゃないかって馬鹿なこと考えて・・・・
どんどん、自分がおかしくなっていくのが分かった」
あの頃はリィナの傍を離れることができなくて、けれど声を聞くのも姿を見るのも痛かった。
毎日毎日体中に棘を刺されるみたいに苦しくて、自分は。
不幸なのだと、そう思っていた。
そしてそれを呪った。
鮮明に思い出すのは外の事。
世界は広くて光がある。
なのに死にそうな妹と二人で暗く狭い家の中で二人、長い間蹲っていた。
そして過去のは思った。
妹がいる限り、自分は不幸なのだと。
自由も光もない場所に閉じ込められたままだ、と。
ならいっそ、今すぐ死んでくれと願った。
はエドに視線を移した。隠されていない黒の目が、エドを捉える。
「で、とうとう限界来て、酷い事を言ったよ。絶対に言ったら駄目だった。
思う事すら赦されないのに、俺はただ自分が楽になりたくて言ったんだ」
自由に。
妹の死に向かい合うその恐怖と不安からはただ逃げ出したかった。
自分を苦しめる全ての原因が妹にあるのだと、精神を保護するパスワードは打ち込まれていった。
確実に。
「お前が死ねば俺は楽になる。・・・・あんまりだろ?だけど俺は本当に言ったんだ。
自由に動く手足や口があるのに、弱りきって体動かせない妹に面と向かって言ったんだよ。
死ねって」
赦される事じゃない。は思う。
罵られて当然だった。リィナにはその権利があった。
なのに、リィナはそれをしなかった。
「・・・・その時さ、リィナ何て言ったと思う?」
の言葉にエドは、自分ならどうするだろうと思った。
自分だったら、そんな時どうするだろう。何と告げるだろう。
しかし途中で考えるのをやめた。想像だけで物を言うのは相応しくないと思ったからだった。
小さく首を振ると、は少しだけ悲しそうに笑う。
エドの心臓が小さく痛んだ。
「幸せに、なって、ってさ」
何でもない様には告げたが、声は震えていた。掌も微かに。
微かに目蓋を震わせて、零れる涙を頬に伝わせて、優しく、微笑んで。
たったひとことを。
(幸せになって、おにいちゃん)
記憶の中に流れる優しい声には目を細めた。胸が痛い。
優しくしないで良いんだ。そう考える。
(責めていい。その優しさに甘えたりはできない)
「次の日リィナは死んでた。自分で舌を噛み切って、眠るみたいに死んでたよ。
抱き上げたらスゲエ軽くて、手も足も信じられないくらい細くて、俺はそれを簡単に抱えられるくらい元気なのに
・・・そんな、細くて。堪んなかった」
笑っては言った。今も過去もには泣けなかった。そんな衝動は起こらない。
そして仄かに微笑んだまま言葉を続ける。
「独りで死ぬのって、どんだけ怖いんだろうな。」
何を、どこで間違えたんだ、って思った。
どこまでは正しかったのか、それすらも分からない。
ただ一つ分かるのは自分は赦されてはいけないということ。
「・・・・だから、人体練成を・・・?」
「ああ。その前に、村人全員を殺した」
男も女も、老人も子供も、一人残らず。
何かに憑りつかれたように、一心不乱に。
「何で・・・・」
「さあな。・・・・憎かったんだろ。
もしかしたら、あいつ等次第ではリィナは死なずに済んだ。」
「だけど、そんな」
「だから俺とお前は違うんだ。決定的な、何かが違う」
人体練成をして、右目を失って、けれどやはりは泣けなかった。
異形の妹を目前に、ただ呆然として。
どこかで安心していた。
これで自分は忘れる事はないだろうと。
この罪の大きさを。
「・・・・泣くな。」
の言葉にエドはハッとした。
その視界に落ちる雫に驚愕する。
自分が泣いているのだと、エドはここでやっと気付いた。
「案外良く泣くな、鋼」
「が」
「俺が泣かしたってのか」
「・・・じゃなくて」
が泣かないからだ。エドはそう思って涙を止めることはしなかった。
代わりに泣いているんだ。が泣かないから。捌け口が無いから、だから、自分が。
そしてエドは思った。
は世界の何もかもを嘲笑う一方で、誰よりも純真ではないのかと、刹那、そう思った。
だから気付かないんだ。
“幸せになって”
その言葉の意味を。
エドは涙を流しながらを見詰めた。
言わなければならないと思った。
を愛した少女の為に、しなければならないことがある。
「幸せにならなきゃ駄目だ、。絶対守らなきゃいけない約束だ」
エドの言葉には眉を顰めて首を振る。
「違うな。それは甘えだ。本当は、俺がその言葉をあいつに言うべきだった。
それができなくても、安心して笑って死なせてやるべきだった。
それすらもできなかったのに、そんな権利は無いだろう」
悲しそうに告げるにエドは今こそ本気で腹を立てた。
本気で殴りたいと思い、それはすぐに実行した。
大股でに歩み寄り、拳骨を振り下ろす。
きっとその優しい少女もそうした筈だ、と。
「・・・っ、鋼、テメエ・・・!」
「幸せになってって言われたんだ!なれよ、馬鹿!!」
は呆然とエドを見上げた。
エドは泣きながら更に言葉を続ける。嗚咽を漏らしながら。
「その子はに幸せになってって言ったんだ。損得抜きで、無条件で、
自分のこととか他の全部投げ捨てて言ったんだ。
それをなんでが悲しむんだよ、おかしいじゃんか!!」
可哀想じゃないか。最後に遺された言葉を、そんな風に扱ったら、それこそ裏切りだ。
エドは悔しいと思う。
その優しい少女が報われなさ過ぎだと思った。
「おかしいだろ、だってそうだろ。なんで悲しいんだよ、自分じゃない誰かが自分の幸せを一番に願ってる。
こんなに嬉しい事他にあるかよ?
価値とか罪とか事情とか勇気とかそんなの関係ない。は幸せになるしか赦されない」
言いながら、かつてリオールの教会でに問われた言葉を思い出した。
そして一瞬で見つけ出す。
答え。
「翼のない罪人は何を奪われ何処へ堕ちるんだろう。
・・・・オレ、やっと答えが見えた。万人に共通じゃないけど、に相応しい答えだ。
ここなんだ、きっと。この地上に堕とされて、幸せになる以外の選択肢を奪われたんだ。その言葉がある限り。」
震えるの眼を見据え、そして最後にエドは付け加えた。
の過去を知り、それでも変わらず在り続ける胸に巣食う想いを。
「が好きだ。だから問答無用で幸せにする。」
の目に、エドの金色の髪が広がった。