列車はとある駅で止まった。
イーストシティから随分離れ、景色は閑散としている。所謂田舎だった。



まだ目的地ではないため、エドは窓枠に寄りかかって欠伸をし、は再び睡眠に戻り、
戻ってきたアームストロングはエドの隣で読書に勤しんでいる。


目に少しだけ涙を溜めたままエドは横目でを盗み見た。

伏せられた白い目蓋。長い睫毛。聞こえる呼吸音。微かに上下する肩。胸。





綺麗だな。




そう思った途端ポッと頬を染め視線を剥がしエドは大きく頭を二度振った。



「・・・・百面相か」


低く流れるようなの声にエドはハッと顔を上げる。
見れば薄っすらと目蓋を持ち上げた青い目を向け、は微笑んでいる。


「ひ、ひっでぇ・・・・狸寝入り・・・・」


その微笑に多少の違和感を感じながらエドはばつが悪そうに背凭れに体を預けた。
いつものような会話。やりとり。
何の変化も見せないそれらにエドはふと考える。


こんなに、こんなに簡単に何もかもが元通りになってしまうものなのか?
まるで初めから何も無かったように、全てが形を変えないままで。

そんな軽い出来事だっただろうか。昨夜のの表情を思い出しエドは一瞬で否定した。
違う、オレは踏み込んだんだ。の心に手加減無しで。それを、は怒っていた。

ならどうして?


そう考えた瞬間エドの中に不安が膨らんだ。まさか、と呟く。
目先の事に安堵して流される所だったエドは唐突に浮かんだ不安に汗を流した。

             
(まさか、本当に・・・・無かった事にされてる?)


リセットしようとしているのか。
いつも通りの態度を崩さず、なにもかもを帳消しにしてしまおうというのか、

これ以上の断絶は無いという方法で。

エドは下唇を噛んで拳を握った。

怒鳴られたり殴られたり嫌われたほうがよっぽどマシだとエドは思う。
存在を無視するような今の行為に比べたらずっと良い。

は険しい表情で睨みつけるエドを無視してホームに視線を流していた。
そして何かを見つけ小さく目を見張る。




「・・・・アームストロング」

「む?」



の声にアームストロングは読んでいた本を閉じる。そしてに視線を寄越し
顎で促され窓の外に目をやった。

そして視界に飛び込んだ人物に言葉を失った。


「・・・マルコーだろ」


の言葉と同時にアームストロングは窓から身を乗り出し叫んだ。
エドは慌てて迫り来る筋肉を避ける。


「ドクター・マルコー!!」


マルコーと呼ばれた初老の男はゆっくりと振り返り、そして顔を徐々に強張らせた。


アームストロングの姿との横顔に足は震えだし全身が汗を噴出す。
更に呼びかけるアームストロングの声に逃げ出した。






「し、知り合いかよ」

状況が飲み込めず尋ねたエドにアームストロングは“うむ”と頷いた。
の視線はマルコーの背中を追ったまま動かない。

代わりに口を開いた。


「追いかけなくて良いのか、鋼」

「はあ?」

「マルコーは中央の研究機関にいた優秀な錬金術師だ。・・・内乱後姿を消していたけどな。
 錬金術を医療に応用する研究をしていたから、接触して損は無いんじゃねえか」


「・・・・!お、降りる!」


の言葉にエドは顔色を変えて出口に向かった。
マルコーが生体練成について何か知っているかもしれないという期待が胸に生まれる。
その背中を眺め、は立ち上がった。


「・・・殿。何故貴方がそのような情報を」

アームストロングは動かないままに言葉を投げた。の動きも止まる。


「機密ってわけじゃないんだ、どうだって良いだろ」

「しかし」

「うるせえ」

はゆっくりと振り返った。
腰に手を置き、前髪を掻き上げてあからさまな溜め息を吐く。


「俺の腹を探ろうってのか?」

「・・・・失礼しました」


アームストロングは敬礼をしてエドを追うべくに背を向けた。

もう一度溜め息をついて、エド達とは反対の方向に歩き出す。

「・・・面倒臭ぇな」

呟いた。

エドにマルコーの事を教えたのは親切心などではなく、聡いエドの追求から逃れる口実だった。
真摯に向けられる視線が眩しすぎて立ち眩みをおこす。

これだからガキは嫌いなんだ、と、は不機嫌な顔を隠さずに思った。
簡単に騙されてはくれないくせに、物事を単純に処理する。賢い子供は始末におえない。


エドの不安通り、は“何も無かった”ことにしようとしていた。
優しい人達がくれた言葉だけは胸にしまって。



「で、久々の再会だけど。どういうつもりだ?
 ・・・・返答によっちゃ殺すぜ?幸か不幸か、止める奴はいない」





呼びかけたその先には、かつてリオールで出会った女、ラストがに背を向け立っていた。










「・・・・鋼の坊やを、見張っていただけよ。手出しはしないわ」

(まだ)

ラストはコッソリとそう思った。己の命を天秤に掛けたとしても果たさなければならない事はある。
それを体現する。

悪や正義の次元ではなく、それは信念だった。誰が正しいかなど裁ける者はいない。
それこそ神の領域だ。

「私からも質問よ。何故、マルコーを殺さなかったの?」

「・・・」

「調べさせてもらったわ。脱走兵を秘密裏に殺すのは貴方の得意とする仕事の一つでしょう。
 マルコーに対してもその任はあった筈。・・・・何故、彼が生きているのかしら」

は口元で笑った。
そして思い出すのは、自分を取り巻く優しさの数々。


「・・・・必要無いと、思ったからさ。」


の柔らかい笑みにラストは面食らった。そして心で酷く納得する。
エンヴィーが途方も無くに執着するその理由を。


「・・・マルコーは殺さないわ」

「それを俺に信じろと?」

「そうよ」


ラストと向き合い、は鼻で笑う。
そして腕を上げ女の髪を一房掴み口元に持ってゆく。

ビクリ、と。
ラストの体が揺れた。

どこか情事を匂わせる仕草に、ラストは背中が粟立つのを感じる。
はその様子を射抜くように見据え、笑った。



「・・・ふ。OK、信じよう。じゃあ俺はノータッチだ」


ラストは羞恥と悔しさでを睨む。


「何なのよ、今の、は・・・・!」

「男の本能じゃねえのか?好みの女に触れようとするのは」


自分で言う事じゃないわよ、と口には出さず毒づいてラストは舌打ちをした。
たったほんの一瞬の出来事で、体の自由を奪われる。








これは兵器だ。ラストはそう思って再び身震いをした。