家の前でエドを待っていたアルは、首を傾げた。
「あれ、兄さん。は?」
「・・・・知るか・・・!」
エドは忌々しそうに吐き捨てて足音荒く家の中へ入ってゆく。
バタン、と大きな音を立てて目の前で閉まった扉に、アルは更に首を傾げた。
「喧嘩でもしたのかな」
足に擦り寄るデンに微笑みながら呟いて、
二人きりにしたのは失敗だったかも、と、アルは少しだけ後悔した。
閉じた扉の向こうでエドは後ろ手にドアノブを掴んだまま立ち止まっていた。
忘れたくても頭の内側にこびり付いたように離れない、光景。
何の感慨も無くアッサリとエドから離れ、見知らぬ男に歩み寄るの背中を見詰めながら
エドはどうしてよりによって今、片腕が無いんだと思った。
もしも両腕があったら抱き留めることもできたかもしれないのに。
どこに、と問うたエドにはたった一言、関係無い、と残して。
は男と共に去っていった。
『オマエニハカンケイナイ』
何度目の拒絶だろう。
何度自分は突き放されたら、諦めが付くのだろう。
どんなに自分が傍に居たいと、救いたいと願ってもに求められないと意味が無い。
何の役にも立たない。
エドは座り込みドアに背中と頭を預けて、窓から差し込む黄昏の光に目蓋を閉じた。
「・・・・軍人、だったな。あの男」
目蓋の裏に甦った、男の姿にエドは呟く。
見慣れない特殊な制服ではあったが立ち振る舞いは訓練されたものだった。
間違いなく軍関係者。
どうしてこんな田舎にまで、を追ってきた?
正規の仕事であるはずは無い。
はロイ直属の部下で、エドはロイから直接の身柄を預かっている。
では何、が?
「・・・・」
の言う通り、実際エドは部外者で事情も状況も知りはしない。
やロイが、についての多くの事柄を隠しているのは明らかで
だからといってそれを責めたり不満に思う資格などエドには無い。
だけど、とエドは思う。
エドは無言で立ち上がりそのまま方向転換をしてドアを開いた。
驚くアルをスルーして、今しがた歩いてきた道程を早足で引き返す。
慣れない義足で速度はままならずエドは舌打ちをした。
「・・・・だけど、好きなんだ」
時間も、罪も、過去も。
なにもかもが意味を失うほど。
「仕事か。・・・久々だな」
差し出された写真を受け取っては言った。
面前の男は静かに頷く。
写真には初老の男が写っていた。
顔と、居場所以外にが何かを聞かされることはない。
いつもいつも、はこうして仕事を請けてきた。
人の命を奪うという汚泥を被る役割。
は写真を懐にしまって、男に向き直った。
珍しく眉を下げ困ったように笑う。
鋼のせいで弱っている、と自身が自覚した。
「・・・・異常だよな。・・・少し、安心してるんだ。」
人を殺すことに。
変わらず自分を迎えに来た闇に。
は小さく息を吐いて自嘲する。
そして鮮やかに思い出すのは、
何もかも失った過去にたったひとつだけ、たったひとり、守り抜くと決めた大切な人。
「ヒューズは、元気、か?」
男は少しだけ表情を変え、しかしすぐに無表情へと戻り静かに頷く。
「・・・はい。」
男にしてみればは人間兵器。そして人間の理解を超えた強さ故に、化け物。
そして。
“・は大罪人であり、殺戮者である”
男の崇拝する軍の教えでもあった。
「そうか」
けれど、の見せた表情に男は内心困惑していた。
彼は、この目の前に立つ青年は。
自分と同じ人間ではないのか、と。
が去った後も男はその場に留まり思考を巡らせていた。
少しの時間が過ぎて。
男の背後に、一つの気配が近づいた。
「君は、鋼の錬金術師・・・・」
「・・・・、は・・・・」
の姿が無い事を予想してはいても動揺するエドに男は好機とばかりに口を開いた。
疑問を、迷いを払拭する好機。
エドの態度は突発的な第三者にしてみてもに対する好意は明らかで分かり易い。
欲目が入るとはいえ参考にはなるだろう。
「調度良い。貴方に、お伺いしたい事が」
「・・・?」
困惑する、というより早くを追いたいエドは眉を顰めた。
しかし男の次の言葉に我を忘れる事になる。
「彼は・・・・絢爛の錬金術師、・は、“人間”ですか?」
エドは何かを理解した気がした。
そのたった一言で何かを理解した。
ロイやを取り巻く人間ではなく、もっと大きな軍の広がりがをどう見て、扱っているか。
エドは不慣れな義足をものともせず、左腕で男の襟首を掴み地面へ叩き付けた。
「お前、お前・・・・・!!自分が今何を言ったのか分かってんのか!?」
どう言ったら良いのか判らないほどの怒りを男に感じさせながらエドは更に掌に力を込めた。
が、人間ではなくて、一体なんだって言うんだ!!
男は無表情のまま事実を告げた。
ふと思ったのだ。
何も知らないままあの・に惹かれるのは危険だ、と。
「事実、軍ではそう認識されています。・は“化け物”と。
妹を殺し、村人を殺し、そして今も軍の狗として人を殺し続けている。まともな人間ができる所業じゃない」
「黙れ!!」
襟首を離し、エドは拳を振り上げる。
しかし男はいとも簡単にそれを片手で制した。
「あの美しさ。確かに心奪われるには充分でしょう。
しかし考えはしないのですか、悪魔は総じて美しい、と」
「黙れ、黙れ、黙れ!!」
何も知らないくせに。
あの苦しみ、悲しみと、深い絶望を。
世界中の倫理と正義に背いても、世界中の誰に罵られても拭えない想いを。
知りもしないで。
男はエドの様子を冷静に分析していた。
そして思った。本当に、教えられた通りの悪魔ならば自分ではない誰かをここまで動かせるだろうか。
ただ単純な外見の美しさだけで。
そして思い出すのはの表情。
ああ、やはりそうか。
男は思った。
あの人は、あの青年は。
悪魔ではなく、化け物ではなく、人間なのだ、と。
悲しみを隠し、涙を覆い、人を手に掛けることで何かを償おうとする弱い人間だ。
それは、それは。
自分と同じ、だ。と。
「・・・・、・・・・さんは。あの方は任務に向かいました。場所は此処です」
男は懐から一枚の紙を取り出すと、抑えていたエドの左手に握らせた。
怯んだエドをやんわりと退かし、立ち上がる。
服に付いた土を払い落とし整えてエドを見下ろした。
「あれ程の方の名が何故知れ渡らなかったか、貴方も疑問に思ったことはおありでしょう。
・・・・彼は、軍部の汚穢を一身に引き受ける捌け口を担っている。
その全ては其処に行けば分かる」
「・・・・・どう、して」
「・・・・自分は、今まで軍の在り様を疑った事はありません。
我らは正義。正義こそ我ら。狗と呼ばれようとも揺らぐ事は無い。・・・けれど。」
けれど。
疑問がほんの少しでも生じた瞬間に崩されるような脆い信念だったのだ。
男は姿勢を正し敬礼をし、エドを残して去っていった。