エドはまだ小さく揺れているの肩を見詰て、気持ちを切り替えるように短く目を瞑った。
そうして料理を再開したの隣に並んだ。

隣。肩が触れ合う、そんな距離。涙が出そうなほどの近さ。
エドはいつかの少し前に立てるようになりたいと心の奥で願った。
の手を引いて、進む道にある棘を払って、そうして二度とこの人が傷つかないように護れればいい。

「・・・なんか、手伝う。」
照れたような拗ねたような、けれど愛しさばかりが溢れる声でエドは言った。
可笑しそうに目を細めては籠に入った野菜を差し出す。

「洗って皮剥き」
「・・・
「うん?」
「好きだ」
「・・・・・」
「好きだ。決めたんだ。の不幸は許さない」


エドの不意打ちには目を見開いて、それから眉を顰めて。
そうしてエドから目を逸らす。
知ってる、と言おうとした。もう、知っているから。
何度も何度も届いている事を確かめるように言わなくても、知っているから。

けれどの口から零れ出た言葉は何もかもが違っていた。

「ありがとう」


ありがとう、おもって、くれて。


「―――ッ!」

エドは力任せにを抱き締めた。
は抱き締め返さなかったが、突き放しもしない。今できる最大だった。

「・・・エ、・・・ド」
今のが好意を寄せられることに対しての恐怖を押し隠しできる精一杯の。

エドはぎゅうぎゅうと抱き締めながら頭の中で何度も何度もを呼んでいた。




運命なんて知らない。未来なんて見たことが無い。
それでも、とエドは思う。

それでも現実とこの瞬間は確かに自分のもので、
生きたり願ったり、そういう大事なものに飽きたりしなければ物事はどうにだって転ぶのだ、と。










「・・・・君の話は、事実か。」

凍ったようなロイの声音に、誰かの喉が鳴る。
射るような目は容赦なく目の前のイリスに注がれていた。

当のイリスだけが涼しげな横顔でそれを受け止めている。

「どういう意味でしょう」
「推測や推論は不要だと言っている。私は確定された事実が聞きたい」
「心配されずとも事実です。」
「ならば」

ならばそれこそ、最悪と言うものだ。
ロイは目蓋を閉じた。
淡々と“事実”を告げるイリスを衝動的に殺したくなる、それを、耐えるために。

「それでは、は、本当に最初から・・・軍の道具として」
「・・・・」
「ヒューズの優しさも、の悲しみも、なにもかも、軍は利用していたと言うのか」
「それが私の知る事実です。」
「いいのかね」
「・・・なにがです?」

ロイは規則正しい呼吸を何とか取り戻し目蓋を持ち上げた。
背筋の伸びたイリスの姿が、網膜を焼く。


「どう考えても、控えめにみても。君が口にしたのは軍の機密だ・・・相当な。」
「そう、だから私は貴方を巻き込んだんです。私は自分を過剰に評価しない」
「そうではない」

ロイはそれまで崩していた姿勢を正してイリスを見た。見据えた。
それはどこか懺悔を促す聖職者のような神聖さがあった。

「どういう手段を用いたかは問わないが、その機密を知る君の命の保証は無いだろう。
 すぐに君の所業は知れる。君を信じそれが事実とするなら軍は漏洩を許さない」

「ええ、そうでしょう。だからこそこの事実を貴方に届ける事で私は私の思う勝利条件を満たしました」


イリスは今なら本当に自分を誇れるだろうと思った。
命よりも大事なものが、償いと、殉じるべき信念にあり、自分にできることを為した。
これ以上の何が必要だろう。


ロイは暫しの無言の後、ゆっくりと口を開いた。

「私の部下を、護衛につけよう」
「いいえ。」


イリスはハッキリと告げて立ち上がった。
美しい微笑と敬礼を見せて、それから子供のように笑った。


「いいえ、マスタング大佐。私のここから先は別の物語です。
 貴殿の優しさに感謝を。そして、貴方と彼の行く末に光があることを願います」



ロイはここで初めて優しく微笑み、イリスは満足そうに頷いた。










「そういや・・・おいエド」
「・・な、なに」

の声にジャガイモの皮を剥いていた手を止めてエドは視線を泳がせた。
まだ名を呼ばれることに慣れておらず、心臓は下手なダンスを踊っている。

名前もそうだけど、の目もダメだ、とエドは思って顔を伏せる。
無意識に優しく象られた目が真っ直ぐに自分に向けられる。それがエドには幸せすぎてどうしようもなかった。

はまたケラケラと笑って小さな皿にスープを注いで味見をする。
案外よく笑って、それから丁寧な性格なのかもしれないとエドはを盗み見て考えた。

「お前、牛乳嫌いなんだって?」
「ゲ・・・どっからそんなの・・・」
「体にいいんだぜ」
「・・・あんな、牛から分泌された白濁色の液体・・・・」
「ふぅん」

は振り返り、お玉片手に意地悪く微笑んだ。


「口移しで飲ませてやろうか?」
「・・・・・・・・・・ッ!?」


エドは危うく包丁を自分の手に突き刺すところだった。











裏路地に入ると、周囲を囲むように現れた気配にイリスはゆっくりと足を止めた。
空は青空。突き抜ける青空。

ああ、いい天気だ、と、イリスは思った。

こんな日に死ねるのは思いがけない幸せだ。
空気の流れを感じ太陽の下で、人らしく死ねるのは。

人差し指を太陽に向けて、清々しい表情で。
イリスは口を開いた。


「私は一生使えないだろうと、そう思っていた言葉がある。だけど、言わせて貰うぞ」


謳うような凛とした声は響く。
この世界の何もかもが己の舞台であるかのように、イリスは幕を閉じる一言を告げる。


「ここまでだ。ここから先は好きにはさせない。」


空を劈く銃声が、響き渡った。





翌日、路地裏で発見された死体はとても安らかな顔をしていたという報告に。
「・・・そうか」

ロイは短い黙祷を捧げた。
そして、次に会った時がまだ頑なに幸せになる事を拒むなら、とりあえずは殴ろうと誓う。
他ならぬイリスの為に。