ロイからの電話を切ったヒューズはぐったりとソファーに身を沈めていた。
ヒューズの妻グレイシアは淹れたての紅茶をそっとテーブルに置いて隣に腰掛ける。
優しく前髪を梳けば、ヒューズは冷たい硝子の向こうで目蓋を持ち上げた。
「グレイシア」
「顔色が、悪いわ」
「グレイシア」
呟いて、グレイシアの腰を抱き寄せるヒューズの掌は震えていた。
愛する人の体を抱き締めながら祈るように思う。
神様、どうか、神様。
いるなら返事をしてくれ。
アンタが作った世界だというなら、ここはあんまりだ。
「確かに本の虫としか言いようがねえかも・・・」
「・・・マジで人が住んでんのか、エド」
「住所は間違ってないけどなァ」
「本しか無いんじゃねえか、これ・・・」
閉口するエドと、以下三名。
玄関から踏み入れるのを躊躇ってもう数分になる。
本館に赴いたエドは受付にて目録を調べてもらったが、マルコーの賢者の石に関する研究資料は残されていなかった。
そこでシェスカという女性を紹介されたのである。「彼女は本の虫だからきっと知っている」と。
(この間は本館の外で一服していた)
教えられた住所に訪れたもののノックをしても応答が無く
鍵が開いていたからとドアを開けてみればそこは今目の前に広がるように、本の海であり山だった。
ある意味壮観である。
「シェスカさーん!いらっしゃいませんかー?」
「おーい!」
恐る恐る進むエドとアル、そして名前を叫ぶマリアとデニーの後を追うようにも足を踏み入れる。
高く積み上げられた書籍の数々を見上げながら、少しだけ微笑んで過去を思い出した。
足を止めて深く呼吸をすると懐かしい匂いが染るように体を巡る。
錬金術を学んだあの頃は自分もこうして本に囲まれて暮らしていた。
毎日毎日飽きもせず本を捲っては新しい知識を吸収して、それが、喜びだった。
日々培うものはきっと自分と、リィナを幸せにするものだと信じていたから。
「・・・いい加減、女々しいな・・・俺は」
己の抱く感傷に苦笑いをして、再び歩き出そうとしたの足をあるものが止めた。
「・・・」
「・・・?どうした、?」
「いや、声が」
「?」
足を止めたに気付いたエドが声をかけると、は周囲を見渡しながら呟く。
眉を顰め、見つけたのは雪崩のように本が崩れている場所だった。
エドの視線もそこに辿り着く。
すると。
「・・・・・・・・・・・・たすけてー・・・・」
くぐもった声が聞こえて、二人は顔を合わせた。
「・・・今の、なに・・・」
「誰か埋まってるな」
「どわあああ!!アル、人が埋まってる!!掘れ掘れー!!」
「えっ、ええー!?」
かくして大発掘が幕を開けた。
「あああああああすみませんすみません!うっかり本の山を崩してしまって・・・!
このまま死ぬかと思いました、ありがとうございますー!!」
本の底から掘り出された女性はずれた眼鏡を持ち上げながら何度も頭を下げる。
はそれを無視して手近にあった本を流し読みながら口を開いた。
「お前がシェスカか?」
不躾とも取れるの態度に怯みながら女性は頷いた。
分館に勤めてはいたものの本が好きすぎて仕事中にも読み耽り、ついにはクビになったのだという。
「病気の母をもっといい病院に入れてあげたいから働かなくちゃいけないんですけど、
本を読む以外は何をやっても鈍くさくてどこに行っても仕事がもらえなくて・・・」
母が病気。
そのフレーズにエドとアルが小さく反応したのをは見逃さない。
けれど何も言わずに目を逸らすだけだった。
誰にも触れられたくはない過去は、も持っている。
「・・・あー、ちょっと聞きたいんだけどさ」
本格的に愚痴を言い始めたシェスカを現実に引き戻すべく話しかけたのはエドで、
少し控えめながらもここに来た目的を説明する。
はそれに意識を向かわせながらも視線はやはり手元の本に注がれていた。
「ティム・マルコー名義の研究書に心当たりあるかな。
・・・先日焼けた分館にあったかどうか、確認が取れないんだ」
エドが口にした名前を数度繰り返し呟いて、シェスカはぽんと手を叩いた。
ビクリとエドが強張る。
「ああ!はい、覚えています。活版印刷ばかりの書物の中で珍しく手書きで、
しかもジャンル外の書架に乱暴に突っ込んであったのでよく覚えています」
「・・・・・本当に分館にあったんだ・・・てことは丸焼け・・・」
ハッキリと告げたシェスカに一瞬唖然としたエドとアルは、それからよろよろとその場にへたりこんだ。
目の前にぶら下がっていたニンジンがゴール直前で奪われたような、そんな気分だ。
しかしエドはすぐに足に力を入れて立ち上がると拳を握ってみせた。
の前でみっともない真似はしたくない。そんな風に、思う。
「・・・あー!くそ、“振り出しに戻る”だ!次の手がかり探すぞ、アル!」
エドの言葉を合図にアルも立ち上がり、は本を置いて玄関に向かい歩き始める。
状況に順応できていなかったシェスカは少し戸惑ったが、エドの背中に言葉を投げかけた。
「あ、あの・・・その研究書を読みたかったんですか?」
「そうだけど今となっては知る術も無しだ」
「あの・・・私中身全部覚えてますけど。一字一句間違わず。・・・時間は掛かりますけど複写しましょうか?」
全員の動きが止まる。
エドはゆっくりと目を瞠ってシェスカを振り返った。
「世の中凄い人が居るもんだなー」
意気揚々と夕暮れの街道を歩くエドとアル。
その後ろを歩きながらは二人から伸びる影を踏んで遊んでいた。
エドはちょこまか動くので影も踏み辛い。
なんだかそれが可笑しくて、は俯いたままこっそり微笑んだ。
「・・・・、・・・」
その時偶然振り返ったエドは言葉を失って、足を止めた。
目蓋を伏せて微笑むの表情に何故だか急に泣きたくなった。
ぐ、と喉の奥に何かを押し留めて口を開く。
「ー!早く帰って飯食おうぜー!」
わざと大きな声で名前を呼べば、はいつも通りに呆れたような表情になる。
エドはそれに安心して、けれどその事に気付かれないようにすぐに背中を向けて走り出した。