厳戒体制発令。

アラート、アラート。




東方司令部全職員は直ちに練兵場に集合せよ。




不備は許されない。
彼の機嫌を損ねてはならない。


逆鱗に触れれば人間破壊兵器、東方司令部ラストウエポン、通称絢爛の錬金術師と呼ばれる彼は。



この世に生まれた事を後悔するほどの報復を返してくる。




アラート、アラート、アラート。



直ちに練兵場に集合せよ。



我らの存続を賭した作戦会議を行う。



厳戒体制発令。


が帰還する。

















職員は瞬時に練兵場に集まった。



ある者は顔色を極限まで青くし、ある者は記憶の中の恐怖と戦いながら必死で意識を保つ。

そして彼らは揃って、これから襲来する彼の恐ろしさを知らない連中を心底羨み、また憐れんだ。



生贄はいつだって肝心な現実を知らない(もしくは知らされない)人間だ。
我が身可愛さに誰も助言はしない。



ロイは用意された壇上に上がり、小さな咳払いをしてマイクを握った。


「諸君。知る者も知らぬ者も、肝に銘ずべきは“触らぬ神に祟り無し”だ。

 己を過信するな。見誤るな。と諸君の間にあるのは完全な弱者と強者の相関図のみだ。」



大袈裟だ、と笑う者はいなかった。

を知る者は勿論笑える筈も無く、知らぬ者はその姿さえ見た事が無い故に恐怖は助長される。


ゴクリと、どこからか生唾を飲み込む音だけが聞こえた。


ロイはその異様なまでの静けさに頷き再び口を開く。



「それではこれより作戦を伝える。・・・・ホークアイ中尉。」

「は。」


壇上下のリザに声を掛け、差し出された紙を受け取り一瞥してロイは視線を一同に向ける。


「対処は簡単だ。の機嫌を損ねなければいい。今からそれぞれに紙を配る。

 紙に書いてあるのはA、B、C、Eのいずれか。それはの性格、趣向、その他を考慮した上で検討、

 叩き出した諸君らのに対する好感度ランクだ。

 好感度ランクAの者は通常通り勤務。に出会った場合も軽い挨拶程度で良い。各自の判断に任せる。

 好感度ランクBの者は極力内勤を行え。に運悪く出会っても目を合わせなければ良い。不自然ではない程度に、だ。

 好感度ランクCの者は内勤のみ。所属部署から出退勤、食事、排泄以外は出るな。に出会った場合壁になれ。空気になれ。存在を消せ。

 最後に、好感度ランクEの者。」


ロイはまるで死にゆく罪人を見るかのような目で溜め息を吐いた。

遠くで誰かが卒倒した。

Eランクだったんだな、と誰もが思う。

ロイはまた咳払いをした。




「・・・・Eランク該当者は自宅勤務を許可する。外出は避け、万が一に遭遇した場合・・・・兎に角謝れ。

 何を、何故、そんな事は考えるな。生き残った後でもそれはできる。・・・・さて、以上だ。

 の滞在期間は不明、心して掛かるように。」


「あの、オレSランクなんスけど」


手を上げて言ったのはハボックだった。その言葉に同じく手を上げたのはリザ、ブレダ、ファルマン、フュリー。

ロイはフンと鼻を鳴らし、マイクのスイッチを切った。


「当然私はSSだ。我々がそうでなければ他の人間なぞランク外だろう。」


リザは呆れたように溜め息を吐いた。

ハボックは、それは大佐の希望的観測だろう、と思ったが言わなかった。


「大佐。切り札は?」

「勿論用意している。だがそれを伝えて彼等を油断させるのは賢くない。切り札は最後まで隠すものだ」


何よりロイ自身、その切り札は使いたくは無かった。できる事なら隠したまま終わらせたい。


「さて、私はを迎えに行こう」


一転して表情を緩めたロイの襟首をすかさずリザが掴む。


「駄目です。仕事が山のように残ってます。出迎えはハボック少尉、貴方に頼みます」

「はあ、いいっすけど」

ロイの視線が恐ろしく突き刺さるが、ハボックは無視して頷いた。

今このメンツで一番逆らってはいけないのは有能な彼女だと身に染みて分かっている。



「・・・ハボック、万が一に手を出せば・・・」

「そこまで無謀じゃないっすよ」


大佐とを同時に敵に回して生き残る自信はハボックには無い。


「大佐。職員に解散を。」

「分かっている」



ゴホン。


何度目かの咳払いをしてマイクのスイッチを入れた。

真摯な声を吹き込む。



「付け加えるが、ランクEの諸君。に嫌われている、即ち仕事ができない、配慮が足りない、人間的に必要なものが欠けているということだ。

 然るに私からの好感度もランクE。早急な改善を命じる。階位を剥奪されたくなければ励むように。

 それでは解散、諸君らの健闘を祈る!」


その声は遠く響いた。演説めいたそれに一同は意味もなく感嘆する。



しかし。




「戦争に行くようだな。まさか俺の帰還の度にやってるのか、コレは」



呆れたような、愉快そうなその聞き覚えのある声にロイは凄まじい速さで振り返った。


・・・!」


ロイの呟きはマイクを通して練兵場に響き、好感度ランクA以下の者は本能的に目を伏せた。

ハボックは落としかけた煙草を咥えなおす。


「よお、お早いお着きで」

「まあな、だが面白いモノが見れた」


はケラケラと笑ってロイを見上げた。

口が弧を描く。


そして壇上に上がり、無造作にロイからマイクを奪い取った。


スウッと、浅く息を吸う。


「俺がだ。・・・・全員顔を上げろ」


の言葉とほぼ同時に全員が顔を上げた。人間が生まれながらに持つ本能がそうさせた。

彼等の目に入ったのは、鮮やかな青の目と鳶色の髪を晒すの姿。

その美しさは神々しくもある。


「・・・・なんだよ、ガキじゃん」


誰かがボソリと呟いた。

瞬間の肩が微かに震え、笑顔が引き攣る。

呟いた男はランクEの紙を持っている。周囲の人間は慌てて男の口を塞いだが時既に遅し。


の視線は一線をなぞり、男を射抜く。


頭を抑えロイは息を吐いたが、助ける気にはなれなかった。

馬鹿は必要ない。それも救いようが無い馬鹿なら尚更だ。そう思って傍観を決め込む。


は目蓋を微かに落とし目を細めた。



「お前、紙とペンを用意しろ。五分やる」


の言い放った言葉に誰もが意味を理解できずにいた。

腰に手を当て、顎だけを使い促す。


「早くしろ」


「な、なんで・・・」


男は今更に顔を恐怖で強張らせて反問した。ここでやっとの意図を理解したハボックは“ああ、馬鹿”と頭を振る。

少しでも賢ければ従う振りをして姿を消す。は最後のチャンスを与えたのだ。

男は愚かにもそれに気付かず、反問までした。言葉の意味を問うた。

それはつまり、己を首を絞めたのだ。



「なんで?お前家族は?恋人は?友人は?」


「い、います・・・」


「だろう?」


はクッと笑った。



「遺書を残すくらいは許してやるさ」


男は気を失った。













「フン、駄目だな。あのくらいで気絶するか普通。あれで軍人だなんて笑わせるぜ。

 クビにして田舎にでも飛ばせ。戦場に出しても速攻死ぬ。」

ロイの執務室。


不機嫌そうに言っては紅茶を啜る。

確かに、とロイは思った。


「人手不足か、軍は。数打ちゃ当たるってか?馬鹿じゃねえの。人選誤ったな、ロイ」

「手厳しい」

「素直だって言え。部下の進言は聞き入れてこそ有能な上司だ。」

「・・・全く、変わらんなお前は」

「俺は俺だからな」


当然だ、という風には顔色も変えない。


そして思い出したように報告書をロイに投げて寄越した。


それを視界に捕らえ、持ち上げてロイはを見る。



「土産話があると言っていたな」


ロイの何気ない一言にはポンと手を叩いて楽しそうに笑った。

そして珍しく邪気の無い顔で笑う。

ロイは面白くないとは思ったが、興味の方が勝り黙っている。

それに気付いているのかいないのかは分からないが、は思い出し笑いをしながら言った。




「鋼の錬金術師とその弟に会った」




聞かなければ良かった。


ロイがそう思ったのは言うまでも無い。