将臣は簡単に過去や故郷や家族や友人を捨てられるような男ではない。
今も懐かしい声と景色と姿を夢に見ては翻弄されているのがその証拠だ。泣きたくなるような夜も、ある。
ただそれでも帰る手段を探そうとすらしないのは、将臣が自分の命を救った人々を見捨てる事もできない男だからだった。

向けられた殺気に足が竦み動けなかったのはもう過去の話で、
本当の戦争を実感するのは容易く、またそれに身を浸すのも容易だった。

感慨深く考えながら、手酌で酒を煽り月を愛でながら将臣は微笑んだ。
一度人の血を被ればいい。そうすれば一瞬で自分が何をしているのかハッキリする。

将臣の一番最初の武器は「知識」だった。
戦術も武術も後に手に入れたが何よりも将臣の命を支えたのは「歴史を知る」という事実。
それはとても卑怯だった。対等な戦いではない。

将臣は空になった徳利を傍らに置いて自嘲的な笑みを浮かべる。

命を懸けて戦いを挑む者を高みから見下ろしているのだ。そうして徹底的に蹂躙する。
先見の明があるのだと知盛は言ったがそれは違うと将臣は知っていた。
もっと残酷で、醜いものだ。
自分はいつか罰せられるだろう。将臣はそう考える。正しい事をしているつもりは微塵も無い。


歴史を修正することで自分が過去に存在した“未来”がどのように変わってしまうのか想像もできないが
ただ目の前で優しい人々が助けを求めて伸ばす手を無視することだけは選べなかった。

そうしてそんな人達の為に戦うと決めたその時に、将臣はあらゆるものを捨てた。
過去も家族も故郷も友人も、人らしく生き、死ぬ事も、青空の下を胸を張って歩く事さえ。
そうしなければ耐えられなかった。

俯いて溜め息を零した将臣の隣にドカリと誰かが腰を下ろす。
「知盛か」と将臣が顔を上げてみれば、そこに居たのは。

「よ、憂い顔だね」


それはいつも前置き無く将臣の前にだけフラリと現れる男だった。
時間も距離も無視しているように忘れた頃に(けれど絶妙のタイミングで)姿を見せる。
まるで誰かに見せられる夢の中のような感覚。

平家の拠地であるこの場所は当然外部の人間が入り込めば問答無用で首を落とされるのだが
は見張りに見つかった事も無い。また、将臣が人を呼ぶ事も無かった。

「丁度良い。一人で呑むのは辛気臭いしな」

徳利を持ち上げて将臣がそう言うとは「なはは」と笑って頷いた。
わかってて来たんだろう、と、将臣は思う。

(俺が、泣きそうだと)
分かっていたから、だからその涙を止めに来たんだろう?
今更そんなのは許さない、と。

(ああ、わかっているさ。)


猪口は一つしかなかったので将臣は無言で少しだけ残っていた酒を飲み干しに渡す。
それから徳利を手にしの猪口に酒を注いで、それから軽く掲げた。

「再会に」
「乾杯。」

微笑むの笑顔は闇夜の中でも澄み渡り、青く、遥かな空のようで。
過去に切り捨てたものが間近で輝く様に傷つきながらも将臣は酒を口に含んで月を仰いだ。